28 米国駐在
アムステルダムで前所長との法廷係争を担当していたが、そこでの経験が買われた訳ではないと思うが、法務部ともコミュニケーションがよく取れていたので、「米国移駐したら早速こちらの係争も片付けてくれ」というのが本社からの指示だった。
米国は法人格になっていたので、シアトル支店長と言われていたが、正式には米国現地法人副社長というタイトルで赴任した。当時の当社は2件の係争を抱えていて、1件は割とシンプルにカナダバンクーバーの会社にお金を貸していたのだが返済が滞り、こちらが訴えた案件。これは単に法的な手順をしっかり踏んで焦げ付いた債権を回収する作業で、ビジネスではよくあるケースだった。本社からは支払い督促の為、月2回はバンクーバーに行けという指示だったので、シアトルから車で3時間離れたバンクーバーに何度行ったことか。行って督促すれば払ってくれるものではなく、しばらくその会社の社長と話をした後は、せっかくだから何かバンクーバーでビジネスがないか調べては市内を回った。バンクーバーについてはガイドブックを書けるぐらい詳しくなっていた。
もう一つの係争はなかなか理解しがたいケースで当社がお金を貸していた先が倒産し、向こうから訴えらているもの。それも貸した金の数倍の賠償金を借りた側から請求されているという不可思議なケースで、こんなもの負ける訳がないと思っていた。
5年間毎年お金を貸すという約束だったが、途中で当社が貸すのを辞めたので倒産してしまった。会社にとってお金は空気や水と一緒で止めたら死ぬのは明らか。ちゃんと約束通り5年間お金を貸し続けたらちゃんと事業として儲かって、返済できたし、自分にも利益が得られた。だから借りた金は返さない事は勿論、5年後に出るはずだった期待利益相当を賠償金として払えという主張(Punitive Damageに対するCompensationとか言っていた)
当社も理由なく融資をストップした訳でなく、会社のお金の私的、不透明な流用が発覚し、その為警告してストップした。
係争で負ける訳がないと思っていたが、担当する弁護士事務所の話では、相手は陪審員制度に持ち込むつもりで「日本の悪い会社に騙されて会社がつぶされた」と涙ながらに陪審員に訴える戦略で、下手すると負けるリスクありとの分析。
そこで当社のとった戦略は「本件はビジネスに関する係争であって、陪審員等一般の裁判には向かない。ビジネスに関する専門的な知識も必要であり、陪審員制度のない商業裁判所で審議すべき」という事で商業裁判所への持ち込みを訴えた。
結局裁判所での審議の結果、陪審員制度無しの商業裁判所での審議・判決という事は決まった。これによってほぼ当社の勝訴は固まった。そこで向こうは示談を持ち掛けてきた。どうせ勝てるので示談に応じる必要もなかったが、貸した金が返る見込みはなかったし、裁判を継続するのはこちらもお金がかかるので、債権は放棄、その代わり訴訟は取り下げという示談で決着した。
この法廷係争で学んだのは「法律係争の勝負は弁護士事務所で決まる」という事だった。当時のメーンバンク東京銀行の紹介でシアトルで一番高い弁護士事務所に依頼したのだが、目が飛び出るほど高かったが、これがやはり勝訴の一番の要因になった。
弁護士はいわば「傭兵」、これが強いか弱いかで結果が決まる。相手の弁護士は小さな法律事務所だったが、彼もはなからもう勝ち目はないと思っていたような態度だった。
シアトルの一等地のビルの最上階に事務所を構えるそのオフィスは、私の好きなアメリカドラマ「グッドワイフ」や「スーツ」に出てくるような弁護士事務所オフィスそのもので、今でもこういったドラマを見るとその時の記憶が蘇って懐かしい気がする。
シアトルの遠景。この中心部の高層ビルの上に弁護士事務所がある。
シアトル郊外のスノコルミーの滝。米国の人気ドラマ「ツインピークス」のロケ地でもあり、ツインピークスのファンが訪れる。実際、二つの山(ツインピークス)もあり、雰囲気もドラマそのもの。
しかし思えば米国駐在中にコロナとかなくてよかった。SAARSはあって熱があって病院に行ったら宇宙服のような服を着た医者に診断されて驚いた。
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