35 アメリカンライフ スキー3
一シーズン、スキー学校に教えたので、PSIA(Professional Ski Instructors America)のインストラクターのCertificationを取得する資格ができた。
https://www.thesnowpros.org/certification/
認定試験は技術実技検定、知識を問う筆記検定、指導法の実技検定の3つのテストに分かれる。
技術実技検定は英語の要素が少ないので、比較的に日本人の自分にとっては楽だが、スキーが上手い上手くないより、PSIAメソッド通りの滑りができているかできていないかが肝要なので、特に初心者の技術、プルークボーゲンなど低スピードでやる種目をクリアするのに苦労した。
知識を問う筆記試験は英語なので、その部分では難しいが、テキストを読んでテクニカルタームに慣れていれば、勉強すればクリアできる。難しいのは選択肢から選ぶのだが、必ず引っ掛け解答があるので、外国人にとってはその微妙な文章のニュアンスの違いが分からない。それと範囲がめちゃめちゃ広いので要求される勉強量は多い。確か10分野から各5問、計50問で45問以上解答で合格だったと思う。10分野は細かくは忘れたけれど、スキーの歴史・科学・指導メソッド・PSIAに関して概要や規則・救急法・安全・児童心理(子供を教える為)とかそんな分野から5問という感じだったと思う。
なんといっても一番の難関は指導実技試験で、検定員が生徒の役割を演じて検定するのだが、ただ英語で話す事自身も結構難しいのに、ちゃんとメソッド通り正しく教える必要があり、心理的プレッシャーは大きかった。検定員が演じる初心者が転んで、さてどうやって起こすか、どうやって起き方を英語で説明するのは、Non-Nativeにとってはハードルが高い。その上安全確保・確認も採点対象なので、上下指差し確認して、誰も周りから飛び込んでこない事を確認して、生徒を滑らせないと減点になるが、指導メソッドに気を取られると、安全確認はよく忘れる。
筆記試験も何度か落ちながら、何とか技術実技、指導法実技のテストをクリアしてレベル1のPSIAのインストラクターの資格を取った。
PSIAの資格を保持・更新する為には毎年何ポイントかの講習に参加する義務があり、そのポイントを消化しないと資格が失効する。例えば20ポイント消化が義務だと、PSIA2泊3日の合宿だと8ポイント、1日研修会だと5ポイント、救急法研修参加で3ポイントといった感じでその組み合わせでクリアする。ポイントが大きいのが合宿だが、全米から本物のプロインストラクターが集まるので、その合宿では初級者クラスに入って参加してた。
土日曜にスキーインストラクターをしていると話すと「2日だけ?他の日はじゃあどうしてるの?」と訊かれたりしていた。本当のプロは夏は南半球に移ってスキー指導しているので、技術の差は歴然だった。
でも自分の働くROKKAスキー学校の合宿は楽しく、今でもメンバーとは交流があり、その頃の思い出話で盛り上がっている。
インストラクターのネームプレート。JOEの方が呼びやすいので、ニックネームJOEで通していた。
カザフスタンでの写真です。アルマトイの家から1時間かからずスキー場に行けました。北海道・シアトル・アルマトイとスキーヤーにとっては恵まれた駐在人生ですが、大怪我をして今は引退してしまいました。
シアトルの写真が無く、カザフスタンのスキー場の写真ですみません。朝一のスキーコース、まさに誰も滑っていないバージンスノー
これはカザフスタン天山山脈
この写真は白馬乗鞍スキー学校時代の写真
2020年5月30日土曜日
2020年5月26日火曜日
34 アメリカンライフ スキー2
34 アメリカンライフ スキー2
(スキー1に続いて)そんな事からボランテイアでスキーインストラクターを始める事になった。日本でも白馬乗鞍のスキー学校でインストラクターをしてたので、スキーを教える事には慣れていたし、私が入ったRokka Ski Schoolは幹部メンバーが日系人で、日本人の生徒も多かったのでJapanese speaking ski instructorも必要で、最初は日本語で教えるクラスを受け持たせて貰った。
https://www.rokkaski.com/
シアトルは梅雨が無く、夏は適度に暑くてとても過ごしやすい、でも冬は寒く、いつも天気が悪くて憂鬱な季節となる。雨がいつもしとしと降っていて年間降雨量は多くないが、降雨日数が長い。そんな雨も山に降れば雪になり、ウインタースポーツが好きならシアトルは最高。毎土曜日曜、冬はスキー場に行く事になり、せっかくだから日曜日は長男も連れていき、自分の勤めるスキースクールに入れた。長男は平日は地元の幼稚園、小学校に通っていたが、土曜日は日本人補習校に通っていた。長男は友達にスキーの話をするので、他の子供達も「スキーしたい!」と親御さんに言うので、でもスキー場に送迎はしなくてはいけないので、結局家族ぐるみでスキースクールに入ってくれた。少なくとも日本人学校の生徒と父母で200人ぐらいスキースクールに参加する事になったが、それも私がインストラクターを始めたからで、スキースクールにとっては大きなメリットと利益をもたらした。
憂鬱な冬はゴルフもできず、子供達も外遊びができず、一方で日本では毎週スキーに行けるという環境は無くシアトル駐在ならではの環境、それも日本語で教えてくれるという事でいろいろな条件が重なり、一気に日本人社会の中で人気イベントとなった。
方や英語でスキーを教えるインストラクターが急遽大勢必要になり、元スキー部、スキーインストラクターの経験のある駐在員、シアトルに留学している学生等がどんどんボランテイアでイントラクターとして参加してもらったが、そういった人達も知り合いにスキー学校を宣伝するので更に生徒が集まる事になった。私も日本人補習校で、参加申し込み書の回収、スキースクールの内容の説明をやっていた為、かなりの父母が「米国でスキーインストラクターをしている人」と信じていた様で、シアトル日本人企業会の会合やビジネスの場面で私が顔を出すと「えー?会社の駐在員だったの?!」と驚かれたりしていた。
お勧めスキー場
1)サミット・スノコルミー
ROKKAスキースクールの本拠地。シアトルから車で1時間以内で行けて、もっとも近い
https://summitatsnoqualmie.com/
2)クリスタルマウンテン
雪質は最高、シアトルから少し足を延ばすならここがお勧め。車で2時間で行ける。
https://www.crystalmountainresort.com/
3)ステイーブンパス
雪質はクリスタルマウンテン同様、良質。クリスタルマウンテンと近さは同じだがコース設定と新雪の滑走についてはこちらの方が好きだった。近くのドイツ村もあり、家族といくならドイツ村に宿泊して、ここで滑るパターンが多かった
https://www.stevenspass.com/
4)ウィスラー・ブラックコム
まずは近場で1)、滑りごたえや新雪滑りたい時は2)か3)まで足を延ばすが、それ以上1泊2日余裕があれば、やっぱりここに行きました。北米のスキーリゾートと言えばココ!
https://www.whistlerblackcomb.com/
(スキー1に続いて)そんな事からボランテイアでスキーインストラクターを始める事になった。日本でも白馬乗鞍のスキー学校でインストラクターをしてたので、スキーを教える事には慣れていたし、私が入ったRokka Ski Schoolは幹部メンバーが日系人で、日本人の生徒も多かったのでJapanese speaking ski instructorも必要で、最初は日本語で教えるクラスを受け持たせて貰った。
https://www.rokkaski.com/
シアトルは梅雨が無く、夏は適度に暑くてとても過ごしやすい、でも冬は寒く、いつも天気が悪くて憂鬱な季節となる。雨がいつもしとしと降っていて年間降雨量は多くないが、降雨日数が長い。そんな雨も山に降れば雪になり、ウインタースポーツが好きならシアトルは最高。毎土曜日曜、冬はスキー場に行く事になり、せっかくだから日曜日は長男も連れていき、自分の勤めるスキースクールに入れた。長男は平日は地元の幼稚園、小学校に通っていたが、土曜日は日本人補習校に通っていた。長男は友達にスキーの話をするので、他の子供達も「スキーしたい!」と親御さんに言うので、でもスキー場に送迎はしなくてはいけないので、結局家族ぐるみでスキースクールに入ってくれた。少なくとも日本人学校の生徒と父母で200人ぐらいスキースクールに参加する事になったが、それも私がインストラクターを始めたからで、スキースクールにとっては大きなメリットと利益をもたらした。
憂鬱な冬はゴルフもできず、子供達も外遊びができず、一方で日本では毎週スキーに行けるという環境は無くシアトル駐在ならではの環境、それも日本語で教えてくれるという事でいろいろな条件が重なり、一気に日本人社会の中で人気イベントとなった。
方や英語でスキーを教えるインストラクターが急遽大勢必要になり、元スキー部、スキーインストラクターの経験のある駐在員、シアトルに留学している学生等がどんどんボランテイアでイントラクターとして参加してもらったが、そういった人達も知り合いにスキー学校を宣伝するので更に生徒が集まる事になった。私も日本人補習校で、参加申し込み書の回収、スキースクールの内容の説明をやっていた為、かなりの父母が「米国でスキーインストラクターをしている人」と信じていた様で、シアトル日本人企業会の会合やビジネスの場面で私が顔を出すと「えー?会社の駐在員だったの?!」と驚かれたりしていた。
お勧めスキー場
1)サミット・スノコルミー
ROKKAスキースクールの本拠地。シアトルから車で1時間以内で行けて、もっとも近い
https://summitatsnoqualmie.com/
2)クリスタルマウンテン
雪質は最高、シアトルから少し足を延ばすならここがお勧め。車で2時間で行ける。
https://www.crystalmountainresort.com/
3)ステイーブンパス
雪質はクリスタルマウンテン同様、良質。クリスタルマウンテンと近さは同じだがコース設定と新雪の滑走についてはこちらの方が好きだった。近くのドイツ村もあり、家族といくならドイツ村に宿泊して、ここで滑るパターンが多かった
https://www.stevenspass.com/
4)ウィスラー・ブラックコム
まずは近場で1)、滑りごたえや新雪滑りたい時は2)か3)まで足を延ばすが、それ以上1泊2日余裕があれば、やっぱりここに行きました。北米のスキーリゾートと言えばココ!
https://www.whistlerblackcomb.com/
2020年5月23日土曜日
33 アメリカンライフ スキー1
33 アメリカンライフ スキー1
スキーについて書こうとすると、いつ終わるかわからない気がして「スキー1」としてしまった。何しろスキーを始めたのは5才ぐらいだったから、もう半世紀以上スキーをしている計算になる。自分の人生に占める大きなファクターがいくつかあるが「スキー」はその一つだ。ちなみに他のファクターは「ロシア語」「東京水産大」「万博」。
スキーは大学時代スキー部だったし、女子栄養短大・文教短大といった初心者が多いスキー部のコーチもやっていた。アルバイトは白馬乗鞍でスキーインストラクターで稼いでいたし、今でも古くからの友人はスキー絡みが多い。卒業後も、北海道への転勤など、スキーヤーとしても恵まれた人生だった。
さてシアトルに赴任して嬉しかった事は、シアトルと言う街に魅力があり、仕事も面白そうだった以外にスキーの環境も最高だった事だ。The Summit at Snoqualmieはシアトルから一時間で行ける近郊にありながら結構広くてそれなりに楽しめる、雪質や規模ではMt. Baker Ski Area、 Crystal Mountain Resort、Stevens Pass Resort等、スキーヤーには垂涎のスキーエリアがいくつもある。(個人的にはStevens Pass が好きだった)また少し足を延ばしてカナダに入れば世界的に有名なウイスラー・ブラックコムスキーリゾートもある。
秋に赴任して、まずスキーシーズンになったから、一番手軽に行けるThe Summit at Snoqualmieに行った。スキー場全体の地理、リフトシステムやレストランの場所、初めてで何もわからないので、まずはスキースクールに入ってみた。スキースクールにはいればスキーリフトのシステムやコースロケーションや状態、その他諸々の情報をインストラクターや他の生徒と一緒に滑りながら教えてもらえると思った。上級者クラスに申し込んだら生徒は私一人でマンツーマンの個人レッスンになった。
「そんだけ滑れたら何もスクールのレッスンを受ける必要ないのでは?」とインストラクターに訊かれ、スクールに入った理由を話した。彼は私の欲するところを理解してくれて中上級コースを中心にスキー場を端から端まで滑って案内してくれた。二人だったから駐車場やレストランの情報や他のスキー場の情報などスキーヤーならではのいろいろな情報が聞きけてとても参考になった。
最後に「そんなに滑れるんだったらウチのスクールで働かない?土日だけでもいいから」との光栄なお誘いも受けた。「いやB-1,B-2VISAなので決められた職務以外は働けない」とお断りするも「じゃあボランテイアは?お金以外のベネフィット、例えばスキーやユニフォームの提供、ロッカーや無料駐車場の使用とかはどう?」とまた聞かれ、ちょっと心が動いた。スキー場のロッカーにいつもスキーやウエアを置いておけるのは便利だし、スキー場関係者の駐車場は一番スキー場に近い場所でそこを無料で使用できるのは給料並みのベネフィットにも感じられた。
でも一番魅力的だったのは「スキースクールのインストラクターになれば、プロスキーヤーによる研修が受けられる、スキーインストラクターの講師経験が1シーズン以上あればProfessional Ski Instructor Americaの公認インストラクターの受験資格が生まれる、その受験申請や合格の為の指導もスクールでする」という事だった。日本ではスキースクールで働いていたが、時間やお金の問題で、SAJの指導員の資格は取れなかった。だからPSIAのインストラクターの資格はとても魅力的に聞こえた。
大学スキー部時代。基本的には基礎スキーでしたが競技もでてみました。遅かったけど
白馬乗鞍スキー学校のユニフォームで滑走。懐かしいキリ―パンツ。
シアトルROKKA Ski Schoolのメンバー。スキーしていると写真撮らないので、あまり当時の写真が無い
スキーについて書こうとすると、いつ終わるかわからない気がして「スキー1」としてしまった。何しろスキーを始めたのは5才ぐらいだったから、もう半世紀以上スキーをしている計算になる。自分の人生に占める大きなファクターがいくつかあるが「スキー」はその一つだ。ちなみに他のファクターは「ロシア語」「東京水産大」「万博」。
スキーは大学時代スキー部だったし、女子栄養短大・文教短大といった初心者が多いスキー部のコーチもやっていた。アルバイトは白馬乗鞍でスキーインストラクターで稼いでいたし、今でも古くからの友人はスキー絡みが多い。卒業後も、北海道への転勤など、スキーヤーとしても恵まれた人生だった。
さてシアトルに赴任して嬉しかった事は、シアトルと言う街に魅力があり、仕事も面白そうだった以外にスキーの環境も最高だった事だ。The Summit at Snoqualmieはシアトルから一時間で行ける近郊にありながら結構広くてそれなりに楽しめる、雪質や規模ではMt. Baker Ski Area、 Crystal Mountain Resort、Stevens Pass Resort等、スキーヤーには垂涎のスキーエリアがいくつもある。(個人的にはStevens Pass が好きだった)また少し足を延ばしてカナダに入れば世界的に有名なウイスラー・ブラックコムスキーリゾートもある。
秋に赴任して、まずスキーシーズンになったから、一番手軽に行けるThe Summit at Snoqualmieに行った。スキー場全体の地理、リフトシステムやレストランの場所、初めてで何もわからないので、まずはスキースクールに入ってみた。スキースクールにはいればスキーリフトのシステムやコースロケーションや状態、その他諸々の情報をインストラクターや他の生徒と一緒に滑りながら教えてもらえると思った。上級者クラスに申し込んだら生徒は私一人でマンツーマンの個人レッスンになった。
「そんだけ滑れたら何もスクールのレッスンを受ける必要ないのでは?」とインストラクターに訊かれ、スクールに入った理由を話した。彼は私の欲するところを理解してくれて中上級コースを中心にスキー場を端から端まで滑って案内してくれた。二人だったから駐車場やレストランの情報や他のスキー場の情報などスキーヤーならではのいろいろな情報が聞きけてとても参考になった。
最後に「そんなに滑れるんだったらウチのスクールで働かない?土日だけでもいいから」との光栄なお誘いも受けた。「いやB-1,B-2VISAなので決められた職務以外は働けない」とお断りするも「じゃあボランテイアは?お金以外のベネフィット、例えばスキーやユニフォームの提供、ロッカーや無料駐車場の使用とかはどう?」とまた聞かれ、ちょっと心が動いた。スキー場のロッカーにいつもスキーやウエアを置いておけるのは便利だし、スキー場関係者の駐車場は一番スキー場に近い場所でそこを無料で使用できるのは給料並みのベネフィットにも感じられた。
でも一番魅力的だったのは「スキースクールのインストラクターになれば、プロスキーヤーによる研修が受けられる、スキーインストラクターの講師経験が1シーズン以上あればProfessional Ski Instructor Americaの公認インストラクターの受験資格が生まれる、その受験申請や合格の為の指導もスクールでする」という事だった。日本ではスキースクールで働いていたが、時間やお金の問題で、SAJの指導員の資格は取れなかった。だからPSIAのインストラクターの資格はとても魅力的に聞こえた。
大学スキー部時代。基本的には基礎スキーでしたが競技もでてみました。遅かったけど
白馬乗鞍スキー学校のユニフォームで滑走。懐かしいキリ―パンツ。
シアトルROKKA Ski Schoolのメンバー。スキーしていると写真撮らないので、あまり当時の写真が無い
2020年5月18日月曜日
32 アメリカンライフ 幼稚園
32 アメリカンライフ 幼稚園
大規模なアパートメントの敷地に幼稚園があったので、これ幸いとそこに長男を入れたが、やはり英語がまったくできないのでコミュニケーションが取れず、行くのを嫌がった。それは子供達同志のコミュケーションが取れないのがストレスというより、先生が他のコミュニケーションを取れるNATIVEの子供達の面倒は見るが、コミュニケーションが取れないウチの長男のような子は面倒を見てくれないという事が問題だった。家内が子供の様子を見ると、他の子達は何かお遊戯みたいな事を皆でしていても、うちの子はその中に入れず、先生はそれを放置していた。まあ費用も安いので、その程度の幼稚園だったという事なのだろう。
そこで日本人で近所に永住権を持って住まれているファミリーのお子さんが通っている幼稚園が良いらしいという事で今度はそこに入れることにした。その幼稚園は教育費もこの近辺では一番高かったが、それだけの事があった。アメリカ社会に住んで分かったのは「金を出せば、それなりのQualityのものが得られる」という事だ。教育費が高ければ、親もそれなりの収入のある職業の人達で、子供もそういう家庭で育ったご子息達で育ちの良さが感じられた。それなりの金額を払っている以上、それなりの教育をしてくれるものと親も期待しており(結構PTAのプレッシャーも強い)、先生にも緊張感、使命感があった。
入園時には親と先生の面談があり、詳しく子供の事を聞かれて、実際にその子に合ったレベルで先生は面倒見てくれた。コミュニケーションがうまく取れず輪の中に入っていけない時は、先生がキチンとフォローして入れるようにしてくれたし、育ちのいい他の子供達が手を差し伸べてくれる事もあった。友達もでき、ここの幼稚園は喜んで通うようになった。
クリスマスの時はイエスキリスト生誕のお芝居をするのだが、ちゃんとセリフのある役(3人の博士のひとりだったかな?)をあてがわれていた。英語もメキメキ上達し、友達の輪にも積極的に入れるようになってきた。この幼稚園は本当に良かった。
家賃がそこそこ高いエリアを選べば安全と快適さ、ちゃんとしたファミリーのご近所さんを得る事が出来たし、高い幼稚園に入れば質の高い教育を受けれたと同時に、裕福な家庭=ハイソサエティーの子供達の輪に自分の子も仲間入りさせてもらう事ができた。
そんなことでアメリカの格差社会の片鱗のようなものを感じる事ができた。
うちのアパートの棟の裏庭。木がうっそうと生えている。やっぱりアメリカは緑が多い。
特にワシントン州はエバーグリーンステイツ(それぞれの州に呼称がある)と言われて、針葉樹の緑が多い
うちの取引先の会社のオーナーもご近所さんだった。中でパーテイーができるようなクルーザーをお持ちで(おそらく1ミリオンドル以上はすると思うが)、日本からのビジターが来ると自分の船で接待してくれた。金持ちファミリーは親切でいい人、奥様はたいてい美人(笑)
大規模なアパートメントの敷地に幼稚園があったので、これ幸いとそこに長男を入れたが、やはり英語がまったくできないのでコミュニケーションが取れず、行くのを嫌がった。それは子供達同志のコミュケーションが取れないのがストレスというより、先生が他のコミュニケーションを取れるNATIVEの子供達の面倒は見るが、コミュニケーションが取れないウチの長男のような子は面倒を見てくれないという事が問題だった。家内が子供の様子を見ると、他の子達は何かお遊戯みたいな事を皆でしていても、うちの子はその中に入れず、先生はそれを放置していた。まあ費用も安いので、その程度の幼稚園だったという事なのだろう。
そこで日本人で近所に永住権を持って住まれているファミリーのお子さんが通っている幼稚園が良いらしいという事で今度はそこに入れることにした。その幼稚園は教育費もこの近辺では一番高かったが、それだけの事があった。アメリカ社会に住んで分かったのは「金を出せば、それなりのQualityのものが得られる」という事だ。教育費が高ければ、親もそれなりの収入のある職業の人達で、子供もそういう家庭で育ったご子息達で育ちの良さが感じられた。それなりの金額を払っている以上、それなりの教育をしてくれるものと親も期待しており(結構PTAのプレッシャーも強い)、先生にも緊張感、使命感があった。
入園時には親と先生の面談があり、詳しく子供の事を聞かれて、実際にその子に合ったレベルで先生は面倒見てくれた。コミュニケーションがうまく取れず輪の中に入っていけない時は、先生がキチンとフォローして入れるようにしてくれたし、育ちのいい他の子供達が手を差し伸べてくれる事もあった。友達もでき、ここの幼稚園は喜んで通うようになった。
クリスマスの時はイエスキリスト生誕のお芝居をするのだが、ちゃんとセリフのある役(3人の博士のひとりだったかな?)をあてがわれていた。英語もメキメキ上達し、友達の輪にも積極的に入れるようになってきた。この幼稚園は本当に良かった。
家賃がそこそこ高いエリアを選べば安全と快適さ、ちゃんとしたファミリーのご近所さんを得る事が出来たし、高い幼稚園に入れば質の高い教育を受けれたと同時に、裕福な家庭=ハイソサエティーの子供達の輪に自分の子も仲間入りさせてもらう事ができた。
そんなことでアメリカの格差社会の片鱗のようなものを感じる事ができた。
うちのアパートの棟の裏庭。木がうっそうと生えている。やっぱりアメリカは緑が多い。
特にワシントン州はエバーグリーンステイツ(それぞれの州に呼称がある)と言われて、針葉樹の緑が多い
うちの取引先の会社のオーナーもご近所さんだった。中でパーテイーができるようなクルーザーをお持ちで(おそらく1ミリオンドル以上はすると思うが)、日本からのビジターが来ると自分の船で接待してくれた。金持ちファミリーは親切でいい人、奥様はたいてい美人(笑)
2020年5月10日日曜日
31 アメリカンライフ 住居
31 アメリカンライフ 住居
先ずは長男が通う学区を中心に住む場所を考え、最終的にシアトル郊外のRedmondという街にアパートを借りた。せっかくアメリカだから一軒家も考えたが、こちらのアパートは日本の一軒家と同じぐらい広いし、セキュリティーやメンテナンスも行き届いているので、やはりアパートの方が外国人には楽かなと。それ以外にもパーティのできるレンタルルーム、住人は無料のジム&プール、レンタルの車庫・倉庫、幼稚園、警備会社の巡回警備などあり、住んでみたらとても快適。アパートの一つの建物は2階建てで外階段、正確には忘れたけど建物も40棟ぐらいはあり、敷地も広大でアパート敷地内に公園や森林もあって、引っ越してしばらくは自宅に戻るのにアパートの門からよく道に迷った。
すぐ隣が当時のマイクロソフトの本社(メインキャンパスと呼ばれていた)だったので、マイクロソフトの外国人プログラマーが沢山住んでいて国際的な雰囲気もあった。同じ棟にインド人、韓国人家族が住んでいて、かみさんはカレーの料理法やキムチの漬け方を教わっていた。マイクロソフトのプログラムって殆ど外国人プログラマーで造られてる感じでいわゆるCaucasian(白人)は経営陣と営業と宣伝をやっているとよく言われていた。
アメリカに駐在して感じたのはやはり格差社会で、いろいろな統計数字があるが、当たり前だが全体の平均値でしかない。例えばアメリカ全体や州全体の犯罪率や寿命の数字はよく国対比で目にする事はあるが、都市別、地区別にみると数千倍に近い格差を見る事ができる。米国は情報公開が進んでいるので、例えば先のブログでも書いたが、各学校区別の人種、偏差値、統一テスト成績、クラスの人数等情報を知る事ができる。犯罪率の地区別で雲泥の差があり、危ない地区なら歩いていたら何回か一回は犯罪に会う地区から、安全な地区は日本の平均より遥かに安全という感じ。勿論、私達家族は安全な地区に住んだのだが、深夜にその地区に車で走っていると警察に確実に停められるので、問題は無いがちょっとびびっていた。聞いた話では、ある一角の地域に限定すれば寿命は40代前後、医療費が払えない、乳児死亡率が高い、DV、ギャングの抗争、犯罪・麻薬絡み、不健康な生活が原因となっているとの事。
実際シアトルでも「危ない場所」というのがいくつかあり、7年駐在して1,2回しか足を踏み入れた事は無かった。そもそも普通の人は行ってはいけない、行くべきところではないという認識だった。
私達が住んでたアパートは、それほど高級ではないが、収入で言えば中の上、上の下ぐらいの位置づけの世帯が住んでいたので住み心地は良かった。地元球団シアトルマリナーズのスター選手(アレックスロドリゲスも当時は所属)以外の中堅・控え選手も住んでいて、郵便受けに取りに行くとばったり会ったりするので、「この間は出てたね~」「得点につながるヒットあったね~」と言うと嬉しそうにしていた。マリナーズの試合を観に行くとご近所さんが出ていないかチェックしていた。
南北に走る国道5号I-5をバンクーバーに向かって1時間半車で走った辺りにあるスカジットバレーのチューリップ畑
ワイン醸造所の建物。カリフォルニアワインは有名だが、ワシントン州も結構ワイン生産している。
カスケードループから海を臨む
ワシントン州最高峰のレーニア山。標高4392mと富士山より高い。まあ誰でも登れるが常に雪があり、滑落や遭難の危険もあるのでガイドツアーで登った方が安全。私はいつも家族と一緒に行ったので、山頂まではいかなかった。やはり富士山同様、結構上まで車で登れる。
先ずは長男が通う学区を中心に住む場所を考え、最終的にシアトル郊外のRedmondという街にアパートを借りた。せっかくアメリカだから一軒家も考えたが、こちらのアパートは日本の一軒家と同じぐらい広いし、セキュリティーやメンテナンスも行き届いているので、やはりアパートの方が外国人には楽かなと。それ以外にもパーティのできるレンタルルーム、住人は無料のジム&プール、レンタルの車庫・倉庫、幼稚園、警備会社の巡回警備などあり、住んでみたらとても快適。アパートの一つの建物は2階建てで外階段、正確には忘れたけど建物も40棟ぐらいはあり、敷地も広大でアパート敷地内に公園や森林もあって、引っ越してしばらくは自宅に戻るのにアパートの門からよく道に迷った。
すぐ隣が当時のマイクロソフトの本社(メインキャンパスと呼ばれていた)だったので、マイクロソフトの外国人プログラマーが沢山住んでいて国際的な雰囲気もあった。同じ棟にインド人、韓国人家族が住んでいて、かみさんはカレーの料理法やキムチの漬け方を教わっていた。マイクロソフトのプログラムって殆ど外国人プログラマーで造られてる感じでいわゆるCaucasian(白人)は経営陣と営業と宣伝をやっているとよく言われていた。
アメリカに駐在して感じたのはやはり格差社会で、いろいろな統計数字があるが、当たり前だが全体の平均値でしかない。例えばアメリカ全体や州全体の犯罪率や寿命の数字はよく国対比で目にする事はあるが、都市別、地区別にみると数千倍に近い格差を見る事ができる。米国は情報公開が進んでいるので、例えば先のブログでも書いたが、各学校区別の人種、偏差値、統一テスト成績、クラスの人数等情報を知る事ができる。犯罪率の地区別で雲泥の差があり、危ない地区なら歩いていたら何回か一回は犯罪に会う地区から、安全な地区は日本の平均より遥かに安全という感じ。勿論、私達家族は安全な地区に住んだのだが、深夜にその地区に車で走っていると警察に確実に停められるので、問題は無いがちょっとびびっていた。聞いた話では、ある一角の地域に限定すれば寿命は40代前後、医療費が払えない、乳児死亡率が高い、DV、ギャングの抗争、犯罪・麻薬絡み、不健康な生活が原因となっているとの事。
実際シアトルでも「危ない場所」というのがいくつかあり、7年駐在して1,2回しか足を踏み入れた事は無かった。そもそも普通の人は行ってはいけない、行くべきところではないという認識だった。
私達が住んでたアパートは、それほど高級ではないが、収入で言えば中の上、上の下ぐらいの位置づけの世帯が住んでいたので住み心地は良かった。地元球団シアトルマリナーズのスター選手(アレックスロドリゲスも当時は所属)以外の中堅・控え選手も住んでいて、郵便受けに取りに行くとばったり会ったりするので、「この間は出てたね~」「得点につながるヒットあったね~」と言うと嬉しそうにしていた。マリナーズの試合を観に行くとご近所さんが出ていないかチェックしていた。
チューリップが満開になるのは3月下旬から4月中旬にかけてで、この頃にチューリップフェステイバルが開催される。
その規模=株数はオランダを凌ぐ世界最大のチューリップ畑との事。ワイン醸造所の建物。カリフォルニアワインは有名だが、ワシントン州も結構ワイン生産している。
カスケードループから海を臨む
ワシントン州最高峰のレーニア山。標高4392mと富士山より高い。まあ誰でも登れるが常に雪があり、滑落や遭難の危険もあるのでガイドツアーで登った方が安全。私はいつも家族と一緒に行ったので、山頂まではいかなかった。やはり富士山同様、結構上まで車で登れる。
2020年5月6日水曜日
30 アメリカンライフ 観光
30 アメリカンライフ 観光
仕事以外での米国での生活の話。
家族もシアトルに引っ越してきて、生活も落ち着いて余裕が出てきた頃には、アメリカの観光地に家族と旅行に行った。行った当初は子供は長男ひとり、赴任して3年で次男が生まれた。
米国お勧め観光地ベスト3
第1位 アラスカの氷河
夫婦一致での第一位。その壮大な景色に圧倒される。水産物の買付けでは頻繁にアラスカ出張していたので、だいたいのロケーションは分かっていたが、氷河を本格的に見るのは初めて。アンカレッジから車で見に行けるのがポーテージ氷河。そこからさらに南下し、セワードという町が氷河観光クルーズの出発港となり、ここからアイアリック、ホールゲート氷河を見学する観光船が出る。このルートがお勧め。船上で氷河の氷=千年前の氷のオンザロックが飲める。
ところで怖い話。セワードはアラスカでも歴史ある古い町で古びたクラシカルなホテルに泊まった。 Van Gilder Hotelというホテルで、なんとなく不気味な雰囲気で、まだ幼かった次男が「部屋の隅に女の人がいる~」と怖がって私のベッドに入ってきて一緒に寝た。我々家族は「幽霊の出たアラスカのホテル」と呼んでいた。それからもう二十年近く経ち、その記憶を忘れた頃、たまたま長男が「アメリカで幽霊の出る10のホテル」という記事を見つけたのだが、なんとその Van Gilder Hotelが10の一つに入っていたのだ。それも幽霊は彼氏に撃たれて殺された女性で、幽霊の出る部屋はまさにその泊まった部屋。今思えばアジア人の家族だからそんな事気にしないだろうとフロントがその空き部屋をあてがったのだと思う。
第2位 ナイヤガラの滝
エリ―湖からオンタリオ湖に流れるナイヤガラ川にある滝。カナダオンタリオ州とアメリカニューヨーク州とを分ける国境になっている。カナダ滝とアメリカ滝があり、カナダのトロントから南南西に20km(75mi)、アメリカのバッファローから北北東に27km(17mi)と二つの都市からアクセスできるが、私達はトロントからナイヤガラにかけてのワイナリーにも立ち寄りたかったし、トロントも観光したかったので、トロントに飛んでレンタカーで行った。お勧めはカナダ滝なら滝の裏側から滝を観れるツアー、アメリカ滝なら滝の落ちる場所の近くまで近づくツアー、カナダ滝は滝つぼが深くなっている一方、アメリカ滝は滝つぼはなく、直接岩に打ちつける感じ。アメリカ滝の落ちる場所に近づくツアーは滝の水を大量に浴び、吹っ飛ばされそうな勢いで迫力満点。
第3位 グランドキャニオン
やっぱり結構な迫力で素晴らしい景観ですが人が多くて暑い。下まで降りる道があるが、降りたらもう登る体力が無いだろう。インスタ映えという点では、朝焼けか夕焼けのグランドキャニオンがお勧め。大抵はラスベガスとセットで両方まとめて行くのが便利。
但し家族でラスベガスに行くと、子供、奥さん、旦那と楽しみ、興味が違うので一緒に行動するのが難しい。カジノに子供は入れないし、子供向けのショーもあるが、大人向けのショーは子供が入れない。ショーのスケジュールも沢山あって事前に計画しないと1日のスケジュールが上手く組めない。
仕事以外での米国での生活の話。
家族もシアトルに引っ越してきて、生活も落ち着いて余裕が出てきた頃には、アメリカの観光地に家族と旅行に行った。行った当初は子供は長男ひとり、赴任して3年で次男が生まれた。
米国お勧め観光地ベスト3
第1位 アラスカの氷河
夫婦一致での第一位。その壮大な景色に圧倒される。水産物の買付けでは頻繁にアラスカ出張していたので、だいたいのロケーションは分かっていたが、氷河を本格的に見るのは初めて。アンカレッジから車で見に行けるのがポーテージ氷河。そこからさらに南下し、セワードという町が氷河観光クルーズの出発港となり、ここからアイアリック、ホールゲート氷河を見学する観光船が出る。このルートがお勧め。船上で氷河の氷=千年前の氷のオンザロックが飲める。
ところで怖い話。セワードはアラスカでも歴史ある古い町で古びたクラシカルなホテルに泊まった。 Van Gilder Hotelというホテルで、なんとなく不気味な雰囲気で、まだ幼かった次男が「部屋の隅に女の人がいる~」と怖がって私のベッドに入ってきて一緒に寝た。我々家族は「幽霊の出たアラスカのホテル」と呼んでいた。それからもう二十年近く経ち、その記憶を忘れた頃、たまたま長男が「アメリカで幽霊の出る10のホテル」という記事を見つけたのだが、なんとその Van Gilder Hotelが10の一つに入っていたのだ。それも幽霊は彼氏に撃たれて殺された女性で、幽霊の出る部屋はまさにその泊まった部屋。今思えばアジア人の家族だからそんな事気にしないだろうとフロントがその空き部屋をあてがったのだと思う。
エリ―湖からオンタリオ湖に流れるナイヤガラ川にある滝。カナダオンタリオ州とアメリカニューヨーク州とを分ける国境になっている。カナダ滝とアメリカ滝があり、カナダのトロントから南南西に20km(75mi)、アメリカのバッファローから北北東に27km(17mi)と二つの都市からアクセスできるが、私達はトロントからナイヤガラにかけてのワイナリーにも立ち寄りたかったし、トロントも観光したかったので、トロントに飛んでレンタカーで行った。お勧めはカナダ滝なら滝の裏側から滝を観れるツアー、アメリカ滝なら滝の落ちる場所の近くまで近づくツアー、カナダ滝は滝つぼが深くなっている一方、アメリカ滝は滝つぼはなく、直接岩に打ちつける感じ。アメリカ滝の落ちる場所に近づくツアーは滝の水を大量に浴び、吹っ飛ばされそうな勢いで迫力満点。
第3位 グランドキャニオン
やっぱり結構な迫力で素晴らしい景観ですが人が多くて暑い。下まで降りる道があるが、降りたらもう登る体力が無いだろう。インスタ映えという点では、朝焼けか夕焼けのグランドキャニオンがお勧め。大抵はラスベガスとセットで両方まとめて行くのが便利。
但し家族でラスベガスに行くと、子供、奥さん、旦那と楽しみ、興味が違うので一緒に行動するのが難しい。カジノに子供は入れないし、子供向けのショーもあるが、大人向けのショーは子供が入れない。ショーのスケジュールも沢山あって事前に計画しないと1日のスケジュールが上手く組めない。
2020年5月4日月曜日
29 米国駐在 JAZZ
29 米国駐在 JAZZ
今回は仕事以外の話。9月に米国駐在したが、家族で住める体制を準備する為に、しばらくは単身赴任だった。前任者は独身でシアトルの高級住宅街Queen Annのマンションに住んでいたので、とりあえず彼の住居を単身赴任の間は引き継いで住んだ。家族の為には子供の学校区や親子で住める住環境等、いろいろ考える必要があり、最終的にはシアトルから車で20分程度離れたRedmond市の閑静な住宅街のアパートを借りた。Redmondはマイクロソフトの最初の本社があった場所で、ビルゲイツもご近所に住んでいた。学校区に関しては結構細かいデータが入手できて統一テストの偏差値・人種・設備等調べる事ができたが、やはり黒人が多い学区=偏差値が低い、白人が多い学区=偏差値が高いという傾向があり、我々が住む事にした学区はアジア人が多くて、数学等中心にそこそこ偏差値が高い学区だった。一番偏差値が高いのはマーサーアイランド周辺の豪邸ばかりの地区で、ほぼ生徒は白人、おそらく全員がお金持ちの子弟であろう事が予想され、ここには住めないと思った。ビルゲイツもマーサーアイランドでは無いが、その近くの湖に面した大豪邸に住んでいた。
当社のオフィスはシアトルの中心街にあり、ユナイテッドエアラインビルと呼ばれ、全体はオフィスビルではあったが、一階と地下には西海岸では有名な名門ジャズクラブ、ドミトリアス・ジャズアレーがあった。ライヴは食事とセットになったメニューがあったが、家で一人で食事するのもつまらないので、ライヴが始まる時間までオフィスで仕事をして、そのままライヴを聴きながら食事をしていた。ピアニストはチックコリア、マリアンマックパートランド、ジョンルイス、ボーカルはクレオレーン、ギターのジョーパス、サックスのケニーG(彼はうちの近所に住んでいた)、パーカッションのテイトプエンテ等名だたるプレイヤーが出演していた。私が一番好きなピアニスト、マッコイタイナ―も時々出演していて、その時はピアノのすぐ後ろを予約して、彼の奏法をじっくり観察していた。まあだからと言って彼のように弾けるようになるわけではないが…
彼の演奏はピアノテクニックも凄いが音の感性も独特で、同じ曲でも彼が弾くと、まったく別の曲のように思えるほどだったし、聞いたことのない和音が散りばめられている感じだった。
ある取引先の人に自分がマッコイタイナーのファンである話したところ、「マッコイは友達だから、彼のライヴの時に一緒に飲もうか」と言ってくれた。写真はその時のもので、「そんなに凄いピアノはどうやったら弾けるんですか?」とべたな質問をしたら「自分は寿司が好き、魚が好きだ。(DHAやEPAなどの)魚の油は体にいい。多くのJAZZプレイヤーは不摂生で身体を壊して、演奏できなくなるが、俺は健康に気を付けているし、魚の油で頭が冴えている」といった予想外の回答だった。でもそれ以来毎日DHAとEPAの栄養補助食品は欠かしていない。
今回は仕事以外の話。9月に米国駐在したが、家族で住める体制を準備する為に、しばらくは単身赴任だった。前任者は独身でシアトルの高級住宅街Queen Annのマンションに住んでいたので、とりあえず彼の住居を単身赴任の間は引き継いで住んだ。家族の為には子供の学校区や親子で住める住環境等、いろいろ考える必要があり、最終的にはシアトルから車で20分程度離れたRedmond市の閑静な住宅街のアパートを借りた。Redmondはマイクロソフトの最初の本社があった場所で、ビルゲイツもご近所に住んでいた。学校区に関しては結構細かいデータが入手できて統一テストの偏差値・人種・設備等調べる事ができたが、やはり黒人が多い学区=偏差値が低い、白人が多い学区=偏差値が高いという傾向があり、我々が住む事にした学区はアジア人が多くて、数学等中心にそこそこ偏差値が高い学区だった。一番偏差値が高いのはマーサーアイランド周辺の豪邸ばかりの地区で、ほぼ生徒は白人、おそらく全員がお金持ちの子弟であろう事が予想され、ここには住めないと思った。ビルゲイツもマーサーアイランドでは無いが、その近くの湖に面した大豪邸に住んでいた。
当社のオフィスはシアトルの中心街にあり、ユナイテッドエアラインビルと呼ばれ、全体はオフィスビルではあったが、一階と地下には西海岸では有名な名門ジャズクラブ、ドミトリアス・ジャズアレーがあった。ライヴは食事とセットになったメニューがあったが、家で一人で食事するのもつまらないので、ライヴが始まる時間までオフィスで仕事をして、そのままライヴを聴きながら食事をしていた。ピアニストはチックコリア、マリアンマックパートランド、ジョンルイス、ボーカルはクレオレーン、ギターのジョーパス、サックスのケニーG(彼はうちの近所に住んでいた)、パーカッションのテイトプエンテ等名だたるプレイヤーが出演していた。私が一番好きなピアニスト、マッコイタイナ―も時々出演していて、その時はピアノのすぐ後ろを予約して、彼の奏法をじっくり観察していた。まあだからと言って彼のように弾けるようになるわけではないが…
彼の演奏はピアノテクニックも凄いが音の感性も独特で、同じ曲でも彼が弾くと、まったく別の曲のように思えるほどだったし、聞いたことのない和音が散りばめられている感じだった。
ある取引先の人に自分がマッコイタイナーのファンである話したところ、「マッコイは友達だから、彼のライヴの時に一緒に飲もうか」と言ってくれた。写真はその時のもので、「そんなに凄いピアノはどうやったら弾けるんですか?」とべたな質問をしたら「自分は寿司が好き、魚が好きだ。(DHAやEPAなどの)魚の油は体にいい。多くのJAZZプレイヤーは不摂生で身体を壊して、演奏できなくなるが、俺は健康に気を付けているし、魚の油で頭が冴えている」といった予想外の回答だった。でもそれ以来毎日DHAとEPAの栄養補助食品は欠かしていない。
偉大なジャズピアニスト、マッコイタイナ―とジャズアレーで
2020年5月1日金曜日
28 米国駐在
28 米国駐在
アムステルダムで前所長との法廷係争を担当していたが、そこでの経験が買われた訳ではないと思うが、法務部ともコミュニケーションがよく取れていたので、「米国移駐したら早速こちらの係争も片付けてくれ」というのが本社からの指示だった。
米国は法人格になっていたので、シアトル支店長と言われていたが、正式には米国現地法人副社長というタイトルで赴任した。当時の当社は2件の係争を抱えていて、1件は割とシンプルにカナダバンクーバーの会社にお金を貸していたのだが返済が滞り、こちらが訴えた案件。これは単に法的な手順をしっかり踏んで焦げ付いた債権を回収する作業で、ビジネスではよくあるケースだった。本社からは支払い督促の為、月2回はバンクーバーに行けという指示だったので、シアトルから車で3時間離れたバンクーバーに何度行ったことか。行って督促すれば払ってくれるものではなく、しばらくその会社の社長と話をした後は、せっかくだから何かバンクーバーでビジネスがないか調べては市内を回った。バンクーバーについてはガイドブックを書けるぐらい詳しくなっていた。
もう一つの係争はなかなか理解しがたいケースで当社がお金を貸していた先が倒産し、向こうから訴えらているもの。それも貸した金の数倍の賠償金を借りた側から請求されているという不可思議なケースで、こんなもの負ける訳がないと思っていた。
5年間毎年お金を貸すという約束だったが、途中で当社が貸すのを辞めたので倒産してしまった。会社にとってお金は空気や水と一緒で止めたら死ぬのは明らか。ちゃんと約束通り5年間お金を貸し続けたらちゃんと事業として儲かって、返済できたし、自分にも利益が得られた。だから借りた金は返さない事は勿論、5年後に出るはずだった期待利益相当を賠償金として払えという主張(Punitive Damageに対するCompensationとか言っていた)
当社も理由なく融資をストップした訳でなく、会社のお金の私的、不透明な流用が発覚し、その為警告してストップした。
係争で負ける訳がないと思っていたが、担当する弁護士事務所の話では、相手は陪審員制度に持ち込むつもりで「日本の悪い会社に騙されて会社がつぶされた」と涙ながらに陪審員に訴える戦略で、下手すると負けるリスクありとの分析。
そこで当社のとった戦略は「本件はビジネスに関する係争であって、陪審員等一般の裁判には向かない。ビジネスに関する専門的な知識も必要であり、陪審員制度のない商業裁判所で審議すべき」という事で商業裁判所への持ち込みを訴えた。
結局裁判所での審議の結果、陪審員制度無しの商業裁判所での審議・判決という事は決まった。これによってほぼ当社の勝訴は固まった。そこで向こうは示談を持ち掛けてきた。どうせ勝てるので示談に応じる必要もなかったが、貸した金が返る見込みはなかったし、裁判を継続するのはこちらもお金がかかるので、債権は放棄、その代わり訴訟は取り下げという示談で決着した。
この法廷係争で学んだのは「法律係争の勝負は弁護士事務所で決まる」という事だった。当時のメーンバンク東京銀行の紹介でシアトルで一番高い弁護士事務所に依頼したのだが、目が飛び出るほど高かったが、これがやはり勝訴の一番の要因になった。
弁護士はいわば「傭兵」、これが強いか弱いかで結果が決まる。相手の弁護士は小さな法律事務所だったが、彼もはなからもう勝ち目はないと思っていたような態度だった。
シアトルの一等地のビルの最上階に事務所を構えるそのオフィスは、私の好きなアメリカドラマ「グッドワイフ」や「スーツ」に出てくるような弁護士事務所オフィスそのもので、今でもこういったドラマを見るとその時の記憶が蘇って懐かしい気がする。
シアトルの遠景。この中心部の高層ビルの上に弁護士事務所がある。
シアトル郊外のスノコルミーの滝。米国の人気ドラマ「ツインピークス」のロケ地でもあり、ツインピークスのファンが訪れる。実際、二つの山(ツインピークス)もあり、雰囲気もドラマそのもの。
しかし思えば米国駐在中にコロナとかなくてよかった。SAARSはあって熱があって病院に行ったら宇宙服のような服を着た医者に診断されて驚いた。
アムステルダムで前所長との法廷係争を担当していたが、そこでの経験が買われた訳ではないと思うが、法務部ともコミュニケーションがよく取れていたので、「米国移駐したら早速こちらの係争も片付けてくれ」というのが本社からの指示だった。
米国は法人格になっていたので、シアトル支店長と言われていたが、正式には米国現地法人副社長というタイトルで赴任した。当時の当社は2件の係争を抱えていて、1件は割とシンプルにカナダバンクーバーの会社にお金を貸していたのだが返済が滞り、こちらが訴えた案件。これは単に法的な手順をしっかり踏んで焦げ付いた債権を回収する作業で、ビジネスではよくあるケースだった。本社からは支払い督促の為、月2回はバンクーバーに行けという指示だったので、シアトルから車で3時間離れたバンクーバーに何度行ったことか。行って督促すれば払ってくれるものではなく、しばらくその会社の社長と話をした後は、せっかくだから何かバンクーバーでビジネスがないか調べては市内を回った。バンクーバーについてはガイドブックを書けるぐらい詳しくなっていた。
もう一つの係争はなかなか理解しがたいケースで当社がお金を貸していた先が倒産し、向こうから訴えらているもの。それも貸した金の数倍の賠償金を借りた側から請求されているという不可思議なケースで、こんなもの負ける訳がないと思っていた。
5年間毎年お金を貸すという約束だったが、途中で当社が貸すのを辞めたので倒産してしまった。会社にとってお金は空気や水と一緒で止めたら死ぬのは明らか。ちゃんと約束通り5年間お金を貸し続けたらちゃんと事業として儲かって、返済できたし、自分にも利益が得られた。だから借りた金は返さない事は勿論、5年後に出るはずだった期待利益相当を賠償金として払えという主張(Punitive Damageに対するCompensationとか言っていた)
当社も理由なく融資をストップした訳でなく、会社のお金の私的、不透明な流用が発覚し、その為警告してストップした。
係争で負ける訳がないと思っていたが、担当する弁護士事務所の話では、相手は陪審員制度に持ち込むつもりで「日本の悪い会社に騙されて会社がつぶされた」と涙ながらに陪審員に訴える戦略で、下手すると負けるリスクありとの分析。
そこで当社のとった戦略は「本件はビジネスに関する係争であって、陪審員等一般の裁判には向かない。ビジネスに関する専門的な知識も必要であり、陪審員制度のない商業裁判所で審議すべき」という事で商業裁判所への持ち込みを訴えた。
結局裁判所での審議の結果、陪審員制度無しの商業裁判所での審議・判決という事は決まった。これによってほぼ当社の勝訴は固まった。そこで向こうは示談を持ち掛けてきた。どうせ勝てるので示談に応じる必要もなかったが、貸した金が返る見込みはなかったし、裁判を継続するのはこちらもお金がかかるので、債権は放棄、その代わり訴訟は取り下げという示談で決着した。
この法廷係争で学んだのは「法律係争の勝負は弁護士事務所で決まる」という事だった。当時のメーンバンク東京銀行の紹介でシアトルで一番高い弁護士事務所に依頼したのだが、目が飛び出るほど高かったが、これがやはり勝訴の一番の要因になった。
弁護士はいわば「傭兵」、これが強いか弱いかで結果が決まる。相手の弁護士は小さな法律事務所だったが、彼もはなからもう勝ち目はないと思っていたような態度だった。
シアトルの一等地のビルの最上階に事務所を構えるそのオフィスは、私の好きなアメリカドラマ「グッドワイフ」や「スーツ」に出てくるような弁護士事務所オフィスそのもので、今でもこういったドラマを見るとその時の記憶が蘇って懐かしい気がする。
シアトルの遠景。この中心部の高層ビルの上に弁護士事務所がある。
シアトル郊外のスノコルミーの滝。米国の人気ドラマ「ツインピークス」のロケ地でもあり、ツインピークスのファンが訪れる。実際、二つの山(ツインピークス)もあり、雰囲気もドラマそのもの。
しかし思えば米国駐在中にコロナとかなくてよかった。SAARSはあって熱があって病院に行ったら宇宙服のような服を着た医者に診断されて驚いた。
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