2020年9月20日日曜日

39 アメリカンライフ 仕事編②

  39 アメリカンライフ 仕事編②

米国駐在時代、米国法人での水産物の買付け業務は自らが仕切っていた。

水産物買付けの仕事で一番面白いのは、誰も利用していない未開発の水産物を発見して、それを商品として商業化する事である。そういう意味ではメキシコ湾のキャノンボールクラゲの開発輸入はエキサイティングな仕事だった。

メキシコ湾にはキャノンボールジェリーフィッシュ(大砲の弾のクラゲ)というクラゲが生息しており、種としては中国で高級といわれるクラゲと同じ種類だという事が判明した。とは言えクラゲのような現地で無価値なものを漁獲しようとするものはおらず、また漁獲の方法、運搬、加工のノウハウを持つものも誰も居なかった。

そもそもクラゲは大の嫌われ者で、フロリダ州では時に大量発生し、現地の主な漁業であるエビ漁にとっては、漁の邪魔になり、エビが全く獲れず、クラゲだけが網に入って漁業者の悩みの種であった。また観光業にとっても毒は無いものの、海岸に大量に打ち上げられると気持ち悪い、景観も損なうという事で観光業にとっても悩みの種であった。とは言え、駆除にはかなりの費用がかかり、また廃棄する場所にも困るという事でなかなか州政府も対策が打てずにいた。

そんなところに現れた日本人バイヤーはなんと皆の悩みの種だった邪魔者のクラゲをお金を出して買ってくれるという事で、フロリダの地元紙The Star新聞の一面に大大的に報じられた。クラゲは中国・日本では高級食材で、コラーゲンが多く含まれて肌にもよい、「チーズ粥と一緒にいかが」という見出しとなっていた。この新聞の一面にも私と同行者の写真が掲載された。


現地パートナーはラフィールドフィッシャリーズ社で地元漁業者の中ではリーダー格的な会社で、熱心にクラゲ事業に取り組んでくれた。原料はほぼタダだし、大量発生すれば海で水をすくうのと同じぐらい漁獲は簡単ではあるが、運搬と処理ではいろいろ苦労があった。

 クラゲは9割の成分は水で、原料から塩漬けクラゲの輸出用製品が出来るまでは歩留まり5%という低さ、つまりクラゲ100トン漁獲しても輸出製品は5トンしかできないという事である。100トンとって帰港して水揚げしてもお金になるクラゲは5トンだけという効率の悪さ、またその100トンのクラゲを2か月近く塩漬けするのだが、その手間と保管するスペースが大きな課題であった。また十分に塩漬けされたクラゲでも更に運搬中に脱水が進み、5トン購入したクラゲが日本に到着してお客に販売した時は4トンしかなく、重量不足でクレームになる事が多々あった。とはいえアメリカで出荷する時は5トンあったのは事実で、「じゃあどうしたらいいの?」と問い詰られ、何%か重量多めに入れて貰ったら、後は日本側で何とかする、一旦自社でこれ以上目減りしない最終製品に加工してからお客に販売するなど、いろいろ苦労した。

しかし日本でのフロリダ産クラゲの品質面・味の面では評判がよく、レストランチェーンにも採用が決まったり、ビジネスとしては上手くいき、水産物の開発輸入のバイヤー冥利に尽きる仕事であった。このビジネス何度もフロリダに出張し、調査の為にフロリダ半島の海岸線で回ったりしたので、結構なフロリダ通にもなる事ができた。




その後、フロリダでクラゲの不漁の時期があり、今度はメキシコ湾対岸のメキシコ側の海岸にクラゲを求めて出張したが、メキシコ湾側の海岸には麻薬取引の拠点があるとの事で治安の悪い場所も多く、重装備のガードマンに同行してもらい海岸を回ったが、そんな環境での事業投資は困難で、結局メキシコ側からの買付けは断念した。

2020年8月16日日曜日

38 アメリカンライフ 仕事編①

 38 アメリカンライフ 仕事編①

 もし自分が死ぬ直前に「何が食べたいか?」訊かれたら、迷わず「アメリカンチェリー」と答える。ほんと、ピーク時のアメリカンチェリーの美味しさといったら、言葉では表現できない。恐らく普通の人の大げさでなく100倍ぐらい食べているけど、それでも未だに全く飽きない。

 

 もともと当社(東京丸一)はアメリカンチェリーの輸入についてはフロンテイア的な存在でピーク時には貨物輸送機を1機チャーターして産地から日本に飛ばすぐらいの数量を扱っていた。ある時期からアメリカンチェリーの輸入に多くの業者が参入、特に当時急激な成長をしていたスーパーD社が大大的に輸入し店頭で販売したので、日本市場での認知度も急速に高まった。
 そこで当社は戦略をアメリカンチェリーの中でも本当に高品質のものだけに絞って輸入する事にしていった。お客様も高くても高品質のものを望むNパーラーやS屋の贈答用向けとなった。
 シーズンは5月上旬からカリフォルニア産からスタートし、6月中旬頃にオレゴン州からワシントン州に収穫期が北上して7月下旬辺りまで続く。当社のアメリカ人バイヤーは収穫前にカリフォルニアの産地に入り、収穫が始まったらパッキングに立ち合い、収穫期のピークに合わせて北上しながら移動していく。この時期はチェリーの担当者は2か月ぐらい家を留守にする。

 
 私は当時米国法人の食料部門のGMをやっていたが、基本的なスタンスとして「現地現物」として水産(これは本業でしたが)、畜産、農産、穀物あらゆる自社取り扱い商品の産地には1度は足を運び、生産者と会い、当社に商品を供給してくれる事に感謝する事をポリシーとして実行していた。
 カリフォルニアの取引先パッカーはイタリア系のオーナーでカリフォルニアでもトップクラスの品質と評判がある一方、取引先は当社も含め数社に限定しており、新規にはなかなか取引できない優良取引先であった。銀行から借入をしない方針で収穫期前の準備の為の必要資金は買手に対し商品販売代金のアドバンスペイメントの要請があった。そんな事もあって、シーズン前シーズン中も一度は足を運ぶ必要があった。
 「一度は産地に足を運ぶ」という自分の基本ポリシーだけでなく、日本からのお客様を現地の収穫時期に産地を案内するアテンドの仕事もあり、ある程度現地でスラスラ説明できる程度には事前に勉強しておく必要はあった。
 またチェリーのシーズンは2か月誰かが産地に張り付く必要があり、ほとんどは担当バイヤーが張り付くものの、土日休日もなく家にも帰れないので、丁度中間のオレゴンがピークぐらいの時期に3泊4日ぐらい担当を自分が代わって、担当者に休暇を取らせていた。
シーズン中はパッキング工場は24時間動いている。とはいえ24時間当社向けの製品をパッキングするわけではなく、「おたく向けの製品は深夜2:00からパッキングします。終わるのは4:00ぐらいかな」という事前に連絡があるので、その時間に立ち合います。自社向けにパッキングするのは全体の5-10%ぐらいの「サイズが10ロウ以上」「完熟しているもの」「傷や痛みがない物」だけなので、それ以外のものが入らないように、現場でチェックするのが日々の仕事となる。
 では夜パッキングの時、昼は何をしているかというと畑を回り、どこの畑のチェリーが美味しいか糖度計やサイズ定規を持ってチェックしている。そして「ここの畑のこの部分のチェリーをウチ向けに回してくれ」とパッカーにお願いする。畑によって驚くべく味・甘さが違うので、どのロットを当社向けにするか決めるのは重要な仕事となる。その為にどれほどチェリーを試食してきたか、それが冒頭の「他人の100倍は食べている」という所以である。
 こんだけ食べてきてもまだ食べ飽きない。特に今は食料の仕事からも外れているので、更に食べる機会は少ないので、アメリカンチェリーのシーズンに美味しいチェリーを食べると産地を走り回っていたあの頃を懐かしく思い出す。







2020年6月25日木曜日

37 アメリカンライフ 小学校2

37 アメリカンライフ 小学校2
 アメリカの小学校はなかなか良かった。シアトルにいた時の小学校も良かったが、ポートランドに移駐して転校した小学校は自然に囲まれて、校舎校庭も広々としていた。学校の裏手には森林があり、先生は生徒にその森には入らないように注意していた。やはり誘拐や変質者が現れたりする恐れがあるからだ。
 PTAの影響力も強いので、先生と父母のコミュニケーションの機会も多い。妻はあまり英語が得意では無いので、年に数回ある担任との面談は私が行っていた。まあ学校は楽しく行っていたし、友達とも仲良くしていたし、成績も良かったので、あまり面談で困るような事はなかった。我々も含め駐在員で派遣されている家族は、一応はちゃんとした収入も仕事もあり、家庭に問題のある事は少ないし、何しろいずれはアメリカから比べれば、相当厳しい日本の学校に戻らなくてはいけないので、基本的には「やるべき事、やらなくてはいけない事はキチンとやる」。でもローカルの家庭はいろいろ問題を抱えているケースも多く、そういった生徒の対応に担任は頭を悩ませていた。
 うちの長男は数学が得意と評価され、飛び級で数学だけ近くの中学校のクラスに入る事になり、それについての父母の説明会があった。
 席に座って説明会が始まるや否や、紙が配られ、今から30分で紙に書いてある問題を解いて下さいと言わて慌てふためいた。いわゆる抜き打ちテストというやつである。それも数学というより暗号の解読=クイズみたいな問題で、例題の規則性を見つけ解くというような日本のクイズ番組で出題されるような内容だった。ほぼ零点で冷や汗かいた。
 結局 飛び級のまま、転勤で日本に戻り、日本の小学校に入ったが、今度は算数は「できない子」のレッテルを張られ、放課後補習授業を受けさせらた。アメリカでは飛び級、日本では落第のレッテルで子供自身は日本に帰国しての最初に試練であった。
 子供は日本で言う6年生の1月に帰国したので、もう卒業まで3か月しかないし、今更行くこともないと思って家で勉強させてたら、県の教育委員会から呼び出しを喰らい、「義務教育の放棄」でそれは法律に違反すると言われ、しぶしぶ小学校に3か月だけ行かせた。たった3か月だけなのにたっぷりイジメにもあい、早くも異端を排除する日本社会の洗礼を受ける事になった。
 アラスカで流氷のかけらを持って
 シアトルバレエ団は米国内でも5指?に入るぐらいの名門バレエ団。バレエ学校併設され、日本人の子女も結構入っていた。プリマの一人が中村さんという日本人で彼女を応援する為にシーズン券を買っていた。シーズン券を買ってると、なんとなく楽屋にも割と出入りできるようになって、その日のプリマには花を渡したりしていた。

 アラスカの採金場で、砂金を取っているところ。昔人々は金を求めてアラスカに来ていた。今でも名人は結構採れるのだそうだ。
日本はあまりしないがアメリカでは子供がどっかに行かないよう犬同様ラインでつないで散歩する。最初は抵抗あったが慣れると便利

2020年6月11日木曜日

36 アメリカンライフ 小学校1

36 アメリカンライフ 小学校1
 長男は近所の公立小学校に入学させた。
 幼稚園がとても良かったせいか、長男は小学校に喜んで通った。たぶん米国の小学校は楽しかったに違いない。日本の小学校の事はよく知らないが…
 でも日本の小学校とは違うなあ~と感じる事は多い。例えば夏休みは先生はがっつり休めるのだが、給料が出ない?夏休み期間中は安い?とかいう事で、副業はしても良いらしい。という訳でマクドナルドに行くと、担任の先生がカウンターに居て「お飲み物はいかがですか?」なんて長男に語り掛け「先生、じゃあコーラ!」なんて長男が応えて、なんか面白い。
 先生が風邪で休んだりするとPTAに連絡があり、クラスの親の誰かが先生の代わりに授業したりする。「先生、今日はお休みだったから、Aちゃんのお父さんが授業したよ~」とか長男が楽しそうに話すので、「どんな授業だった?」と聞き返すと「Aちゃんのお父さんは消防士だから、消防のシステムの話だった」との事。そりゃあ面白いし、将来結構役に立つ知識だと思えた。
 私はネイテイブのEnglish Speakerでは無いので、とても先生の代わりに授業は出来ないが、PTAのメンバーの活動はスゴイ活発で、学校に貢献しているので、私としてもできる事で活動に参加するようにした。
 特に子供達が楽しみにしていたイベントは校庭でのBBQパーティで、しゃべらず黙々と肉を焼く係はノンネイティブ向けの仕事なのでよく担当した。親がPTA活動で学校に行くのが楽しいぐらいだから、子供が学校に行くのが楽しいのも無理はない。
 他に楽しいイベントはダンスパーティ。事前にお知らせが配られ、ドレスコードの記載があり、「1950年代のオールドアメリカンファッションで」とか書いてある。日本人の父母はなかなか勇気が無くて、がっつり決めてという人は少ないが、地元アメリカ人の父母はリーゼントの父親にポニーテールの母親、オープンカーで乗り付けて、華麗にジルバやロックロールを踊りまくるという父母も少なくない。普段は普通のお父さんもジェームズディーンばりに変身して、面白い。
 かみさんは留守番で一応リーゼントにしてそれっぽくして出陣していました。






2020年5月30日土曜日

35 アメリカンライフ スキー3

35 アメリカンライフ スキー3
一シーズン、スキー学校に教えたので、PSIA(Professional Ski Instructors America)のインストラクターのCertificationを取得する資格ができた。
https://www.thesnowpros.org/certification/
認定試験は技術実技検定、知識を問う筆記検定、指導法の実技検定の3つのテストに分かれる。
 技術実技検定は英語の要素が少ないので、比較的に日本人の自分にとっては楽だが、スキーが上手い上手くないより、PSIAメソッド通りの滑りができているかできていないかが肝要なので、特に初心者の技術、プルークボーゲンなど低スピードでやる種目をクリアするのに苦労した。
 知識を問う筆記試験は英語なので、その部分では難しいが、テキストを読んでテクニカルタームに慣れていれば、勉強すればクリアできる。難しいのは選択肢から選ぶのだが、必ず引っ掛け解答があるので、外国人にとってはその微妙な文章のニュアンスの違いが分からない。それと範囲がめちゃめちゃ広いので要求される勉強量は多い。確か10分野から各5問、計50問で45問以上解答で合格だったと思う。10分野は細かくは忘れたけれど、スキーの歴史・科学・指導メソッド・PSIAに関して概要や規則・救急法・安全・児童心理(子供を教える為)とかそんな分野から5問という感じだったと思う。
 なんといっても一番の難関は指導実技試験で、検定員が生徒の役割を演じて検定するのだが、ただ英語で話す事自身も結構難しいのに、ちゃんとメソッド通り正しく教える必要があり、心理的プレッシャーは大きかった。検定員が演じる初心者が転んで、さてどうやって起こすか、どうやって起き方を英語で説明するのは、Non-Nativeにとってはハードルが高い。その上安全確保・確認も採点対象なので、上下指差し確認して、誰も周りから飛び込んでこない事を確認して、生徒を滑らせないと減点になるが、指導メソッドに気を取られると、安全確認はよく忘れる。
 筆記試験も何度か落ちながら、何とか技術実技、指導法実技のテストをクリアしてレベル1のPSIAのインストラクターの資格を取った。
 PSIAの資格を保持・更新する為には毎年何ポイントかの講習に参加する義務があり、そのポイントを消化しないと資格が失効する。例えば20ポイント消化が義務だと、PSIA2泊3日の合宿だと8ポイント、1日研修会だと5ポイント、救急法研修参加で3ポイントといった感じでその組み合わせでクリアする。ポイントが大きいのが合宿だが、全米から本物のプロインストラクターが集まるので、その合宿では初級者クラスに入って参加してた。
土日曜にスキーインストラクターをしていると話すと「2日だけ?他の日はじゃあどうしてるの?」と訊かれたりしていた。本当のプロは夏は南半球に移ってスキー指導しているので、技術の差は歴然だった。
 でも自分の働くROKKAスキー学校の合宿は楽しく、今でもメンバーとは交流があり、その頃の思い出話で盛り上がっている。
インストラクターのネームプレート。JOEの方が呼びやすいので、ニックネームJOEで通していた。
 カザフスタンでの写真です。アルマトイの家から1時間かからずスキー場に行けました。北海道・シアトル・アルマトイとスキーヤーにとっては恵まれた駐在人生ですが、大怪我をして今は引退してしまいました。
 シアトルの写真が無く、カザフスタンのスキー場の写真ですみません。朝一のスキーコース、まさに誰も滑っていないバージンスノー
 これはカザフスタン天山山脈
この写真は白馬乗鞍スキー学校時代の写真

2020年5月26日火曜日

34 アメリカンライフ スキー2

34 アメリカンライフ スキー2
(スキー1に続いて)そんな事からボランテイアでスキーインストラクターを始める事になった。日本でも白馬乗鞍のスキー学校でインストラクターをしてたので、スキーを教える事には慣れていたし、私が入ったRokka Ski Schoolは幹部メンバーが日系人で、日本人の生徒も多かったのでJapanese speaking ski instructorも必要で、最初は日本語で教えるクラスを受け持たせて貰った。
https://www.rokkaski.com/
シアトルは梅雨が無く、夏は適度に暑くてとても過ごしやすい、でも冬は寒く、いつも天気が悪くて憂鬱な季節となる。雨がいつもしとしと降っていて年間降雨量は多くないが、降雨日数が長い。そんな雨も山に降れば雪になり、ウインタースポーツが好きならシアトルは最高。毎土曜日曜、冬はスキー場に行く事になり、せっかくだから日曜日は長男も連れていき、自分の勤めるスキースクールに入れた。長男は平日は地元の幼稚園、小学校に通っていたが、土曜日は日本人補習校に通っていた。長男は友達にスキーの話をするので、他の子供達も「スキーしたい!」と親御さんに言うので、でもスキー場に送迎はしなくてはいけないので、結局家族ぐるみでスキースクールに入ってくれた。少なくとも日本人学校の生徒と父母で200人ぐらいスキースクールに参加する事になったが、それも私がインストラクターを始めたからで、スキースクールにとっては大きなメリットと利益をもたらした。
 憂鬱な冬はゴルフもできず、子供達も外遊びができず、一方で日本では毎週スキーに行けるという環境は無くシアトル駐在ならではの環境、それも日本語で教えてくれるという事でいろいろな条件が重なり、一気に日本人社会の中で人気イベントとなった。
 方や英語でスキーを教えるインストラクターが急遽大勢必要になり、元スキー部、スキーインストラクターの経験のある駐在員、シアトルに留学している学生等がどんどんボランテイアでイントラクターとして参加してもらったが、そういった人達も知り合いにスキー学校を宣伝するので更に生徒が集まる事になった。私も日本人補習校で、参加申し込み書の回収、スキースクールの内容の説明をやっていた為、かなりの父母が「米国でスキーインストラクターをしている人」と信じていた様で、シアトル日本人企業会の会合やビジネスの場面で私が顔を出すと「えー?会社の駐在員だったの?!」と驚かれたりしていた。
お勧めスキー場
1)サミット・スノコルミー
ROKKAスキースクールの本拠地。シアトルから車で1時間以内で行けて、もっとも近い
https://summitatsnoqualmie.com/
2)クリスタルマウンテン
雪質は最高、シアトルから少し足を延ばすならここがお勧め。車で2時間で行ける。
https://www.crystalmountainresort.com/
3)ステイーブンパス
雪質はクリスタルマウンテン同様、良質。クリスタルマウンテンと近さは同じだがコース設定と新雪の滑走についてはこちらの方が好きだった。近くのドイツ村もあり、家族といくならドイツ村に宿泊して、ここで滑るパターンが多かった
https://www.stevenspass.com/
4)ウィスラー・ブラックコム
まずは近場で1)、滑りごたえや新雪滑りたい時は2)か3)まで足を延ばすが、それ以上1泊2日余裕があれば、やっぱりここに行きました。北米のスキーリゾートと言えばココ!
https://www.whistlerblackcomb.com/

2020年5月23日土曜日

33 アメリカンライフ スキー1

33 アメリカンライフ スキー1
 スキーについて書こうとすると、いつ終わるかわからない気がして「スキー1」としてしまった。何しろスキーを始めたのは5才ぐらいだったから、もう半世紀以上スキーをしている計算になる。自分の人生に占める大きなファクターがいくつかあるが「スキー」はその一つだ。ちなみに他のファクターは「ロシア語」「東京水産大」「万博」。
 スキーは大学時代スキー部だったし、女子栄養短大・文教短大といった初心者が多いスキー部のコーチもやっていた。アルバイトは白馬乗鞍でスキーインストラクターで稼いでいたし、今でも古くからの友人はスキー絡みが多い。卒業後も、北海道への転勤など、スキーヤーとしても恵まれた人生だった。

 さてシアトルに赴任して嬉しかった事は、シアトルと言う街に魅力があり、仕事も面白そうだった以外にスキーの環境も最高だった事だ。The Summit at Snoqualmieはシアトルから一時間で行ける近郊にありながら結構広くてそれなりに楽しめる、雪質や規模ではMt. Baker Ski Area、 Crystal Mountain Resort、Stevens Pass Resort等、スキーヤーには垂涎のスキーエリアがいくつもある。(個人的にはStevens Pass が好きだった)また少し足を延ばしてカナダに入れば世界的に有名なウイスラー・ブラックコムスキーリゾートもある。

 秋に赴任して、まずスキーシーズンになったから、一番手軽に行けるThe Summit at Snoqualmieに行った。スキー場全体の地理、リフトシステムやレストランの場所、初めてで何もわからないので、まずはスキースクールに入ってみた。スキースクールにはいればスキーリフトのシステムやコースロケーションや状態、その他諸々の情報をインストラクターや他の生徒と一緒に滑りながら教えてもらえると思った。上級者クラスに申し込んだら生徒は私一人でマンツーマンの個人レッスンになった。
 「そんだけ滑れたら何もスクールのレッスンを受ける必要ないのでは?」とインストラクターに訊かれ、スクールに入った理由を話した。彼は私の欲するところを理解してくれて中上級コースを中心にスキー場を端から端まで滑って案内してくれた。二人だったから駐車場やレストランの情報や他のスキー場の情報などスキーヤーならではのいろいろな情報が聞きけてとても参考になった。
 最後に「そんなに滑れるんだったらウチのスクールで働かない?土日だけでもいいから」との光栄なお誘いも受けた。「いやB-1,B-2VISAなので決められた職務以外は働けない」とお断りするも「じゃあボランテイアは?お金以外のベネフィット、例えばスキーやユニフォームの提供、ロッカーや無料駐車場の使用とかはどう?」とまた聞かれ、ちょっと心が動いた。スキー場のロッカーにいつもスキーやウエアを置いておけるのは便利だし、スキー場関係者の駐車場は一番スキー場に近い場所でそこを無料で使用できるのは給料並みのベネフィットにも感じられた。
 でも一番魅力的だったのは「スキースクールのインストラクターになれば、プロスキーヤーによる研修が受けられる、スキーインストラクターの講師経験が1シーズン以上あればProfessional Ski Instructor Americaの公認インストラクターの受験資格が生まれる、その受験申請や合格の為の指導もスクールでする」という事だった。日本ではスキースクールで働いていたが、時間やお金の問題で、SAJの指導員の資格は取れなかった。だからPSIAのインストラクターの資格はとても魅力的に聞こえた。
 大学スキー部時代。基本的には基礎スキーでしたが競技もでてみました。遅かったけど
 白馬乗鞍スキー学校のユニフォームで滑走。懐かしいキリ―パンツ。
シアトルROKKA Ski Schoolのメンバー。スキーしていると写真撮らないので、あまり当時の写真が無い

2020年5月18日月曜日

32 アメリカンライフ 幼稚園

32 アメリカンライフ 幼稚園
 大規模なアパートメントの敷地に幼稚園があったので、これ幸いとそこに長男を入れたが、やはり英語がまったくできないのでコミュニケーションが取れず、行くのを嫌がった。それは子供達同志のコミュケーションが取れないのがストレスというより、先生が他のコミュニケーションを取れるNATIVEの子供達の面倒は見るが、コミュニケーションが取れないウチの長男のような子は面倒を見てくれないという事が問題だった。家内が子供の様子を見ると、他の子達は何かお遊戯みたいな事を皆でしていても、うちの子はその中に入れず、先生はそれを放置していた。まあ費用も安いので、その程度の幼稚園だったという事なのだろう。
 そこで日本人で近所に永住権を持って住まれているファミリーのお子さんが通っている幼稚園が良いらしいという事で今度はそこに入れることにした。その幼稚園は教育費もこの近辺では一番高かったが、それだけの事があった。アメリカ社会に住んで分かったのは「金を出せば、それなりのQualityのものが得られる」という事だ。教育費が高ければ、親もそれなりの収入のある職業の人達で、子供もそういう家庭で育ったご子息達で育ちの良さが感じられた。それなりの金額を払っている以上、それなりの教育をしてくれるものと親も期待しており(結構PTAのプレッシャーも強い)、先生にも緊張感、使命感があった。
 入園時には親と先生の面談があり、詳しく子供の事を聞かれて、実際にその子に合ったレベルで先生は面倒見てくれた。コミュニケーションがうまく取れず輪の中に入っていけない時は、先生がキチンとフォローして入れるようにしてくれたし、育ちのいい他の子供達が手を差し伸べてくれる事もあった。友達もでき、ここの幼稚園は喜んで通うようになった。
 クリスマスの時はイエスキリスト生誕のお芝居をするのだが、ちゃんとセリフのある役(3人の博士のひとりだったかな?)をあてがわれていた。英語もメキメキ上達し、友達の輪にも積極的に入れるようになってきた。この幼稚園は本当に良かった。
 家賃がそこそこ高いエリアを選べば安全と快適さ、ちゃんとしたファミリーのご近所さんを得る事が出来たし、高い幼稚園に入れば質の高い教育を受けれたと同時に、裕福な家庭=ハイソサエティーの子供達の輪に自分の子も仲間入りさせてもらう事ができた。
 そんなことでアメリカの格差社会の片鱗のようなものを感じる事ができた。
 うちのアパートの棟の裏庭。木がうっそうと生えている。やっぱりアメリカは緑が多い。
特にワシントン州はエバーグリーンステイツ(それぞれの州に呼称がある)と言われて、針葉樹の緑が多い

うちの取引先の会社のオーナーもご近所さんだった。中でパーテイーができるようなクルーザーをお持ちで(おそらく1ミリオンドル以上はすると思うが)、日本からのビジターが来ると自分の船で接待してくれた。金持ちファミリーは親切でいい人、奥様はたいてい美人(笑)

2020年5月10日日曜日

31 アメリカンライフ 住居

31 アメリカンライフ 住居
 先ずは長男が通う学区を中心に住む場所を考え、最終的にシアトル郊外のRedmondという街にアパートを借りた。せっかくアメリカだから一軒家も考えたが、こちらのアパートは日本の一軒家と同じぐらい広いし、セキュリティーやメンテナンスも行き届いているので、やはりアパートの方が外国人には楽かなと。それ以外にもパーティのできるレンタルルーム、住人は無料のジム&プール、レンタルの車庫・倉庫、幼稚園、警備会社の巡回警備などあり、住んでみたらとても快適。アパートの一つの建物は2階建てで外階段、正確には忘れたけど建物も40棟ぐらいはあり、敷地も広大でアパート敷地内に公園や森林もあって、引っ越してしばらくは自宅に戻るのにアパートの門からよく道に迷った。
 すぐ隣が当時のマイクロソフトの本社(メインキャンパスと呼ばれていた)だったので、マイクロソフトの外国人プログラマーが沢山住んでいて国際的な雰囲気もあった。同じ棟にインド人、韓国人家族が住んでいて、かみさんはカレーの料理法やキムチの漬け方を教わっていた。マイクロソフトのプログラムって殆ど外国人プログラマーで造られてる感じでいわゆるCaucasian(白人)は経営陣と営業と宣伝をやっているとよく言われていた。
 アメリカに駐在して感じたのはやはり格差社会で、いろいろな統計数字があるが、当たり前だが全体の平均値でしかない。例えばアメリカ全体や州全体の犯罪率や寿命の数字はよく国対比で目にする事はあるが、都市別、地区別にみると数千倍に近い格差を見る事ができる。米国は情報公開が進んでいるので、例えば先のブログでも書いたが、各学校区別の人種、偏差値、統一テスト成績、クラスの人数等情報を知る事ができる。犯罪率の地区別で雲泥の差があり、危ない地区なら歩いていたら何回か一回は犯罪に会う地区から、安全な地区は日本の平均より遥かに安全という感じ。勿論、私達家族は安全な地区に住んだのだが、深夜にその地区に車で走っていると警察に確実に停められるので、問題は無いがちょっとびびっていた。聞いた話では、ある一角の地域に限定すれば寿命は40代前後、医療費が払えない、乳児死亡率が高い、DV、ギャングの抗争、犯罪・麻薬絡み、不健康な生活が原因となっているとの事。
 実際シアトルでも「危ない場所」というのがいくつかあり、7年駐在して1,2回しか足を踏み入れた事は無かった。そもそも普通の人は行ってはいけない、行くべきところではないという認識だった。
 私達が住んでたアパートは、それほど高級ではないが、収入で言えば中の上、上の下ぐらいの位置づけの世帯が住んでいたので住み心地は良かった。地元球団シアトルマリナーズのスター選手(アレックスロドリゲスも当時は所属)以外の中堅・控え選手も住んでいて、郵便受けに取りに行くとばったり会ったりするので、「この間は出てたね~」「得点につながるヒットあったね~」と言うと嬉しそうにしていた。マリナーズの試合を観に行くとご近所さんが出ていないかチェックしていた。

 南北に走る国道5号I-5をバンクーバーに向かって1時間半車で走った辺りにあるスカジットバレーのチューリップ畑
チューリップが満開になるのは3月下旬から4月中旬にかけてで、この頃にチューリップフェステイバルが開催される。
 その規模=株数はオランダを凌ぐ世界最大のチューリップ畑との事。
 ワイン醸造所の建物。カリフォルニアワインは有名だが、ワシントン州も結構ワイン生産している。
 カスケードループから海を臨む
ワシントン州最高峰のレーニア山。標高4392mと富士山より高い。まあ誰でも登れるが常に雪があり、滑落や遭難の危険もあるのでガイドツアーで登った方が安全。私はいつも家族と一緒に行ったので、山頂まではいかなかった。やはり富士山同様、結構上まで車で登れる。

2020年5月6日水曜日

30 アメリカンライフ 観光

30 アメリカンライフ 観光
仕事以外での米国での生活の話。
家族もシアトルに引っ越してきて、生活も落ち着いて余裕が出てきた頃には、アメリカの観光地に家族と旅行に行った。行った当初は子供は長男ひとり、赴任して3年で次男が生まれた。

米国お勧め観光地ベスト3
第1位 アラスカの氷河
夫婦一致での第一位。その壮大な景色に圧倒される。水産物の買付けでは頻繁にアラスカ出張していたので、だいたいのロケーションは分かっていたが、氷河を本格的に見るのは初めて。アンカレッジから車で見に行けるのがポーテージ氷河。そこからさらに南下し、セワードという町が氷河観光クルーズの出発港となり、ここからアイアリック、ホールゲート氷河を見学する観光船が出る。このルートがお勧め。船上で氷河の氷=千年前の氷のオンザロックが飲める。



 ところで怖い話。セワードはアラスカでも歴史ある古い町で古びたクラシカルなホテルに泊まった。 Van Gilder Hotelというホテルで、なんとなく不気味な雰囲気で、まだ幼かった次男が「部屋の隅に女の人がいる~」と怖がって私のベッドに入ってきて一緒に寝た。我々家族は「幽霊の出たアラスカのホテル」と呼んでいた。それからもう二十年近く経ち、その記憶を忘れた頃、たまたま長男が「アメリカで幽霊の出る10のホテル」という記事を見つけたのだが、なんとその Van Gilder Hotelが10の一つに入っていたのだ。それも幽霊は彼氏に撃たれて殺された女性で、幽霊の出る部屋はまさにその泊まった部屋。今思えばアジア人の家族だからそんな事気にしないだろうとフロントがその空き部屋をあてがったのだと思う。

第2位 ナイヤガラの滝
エリ―湖からオンタリオ湖に流れるナイヤガラ川にある滝。カナダオンタリオ州とアメリカニューヨーク州とを分ける国境になっている。カナダ滝とアメリカ滝があり、カナダのトロントから南南西に20km(75mi)、アメリカのバッファローから北北東に27km(17mi)と二つの都市からアクセスできるが、私達はトロントからナイヤガラにかけてのワイナリーにも立ち寄りたかったし、トロントも観光したかったので、トロントに飛んでレンタカーで行った。お勧めはカナダ滝なら滝の裏側から滝を観れるツアー、アメリカ滝なら滝の落ちる場所の近くまで近づくツアー、カナダ滝は滝つぼが深くなっている一方、アメリカ滝は滝つぼはなく、直接岩に打ちつける感じ。アメリカ滝の落ちる場所に近づくツアーは滝の水を大量に浴び、吹っ飛ばされそうな勢いで迫力満点。




第3位 グランドキャニオン
やっぱり結構な迫力で素晴らしい景観ですが人が多くて暑い。下まで降りる道があるが、降りたらもう登る体力が無いだろう。インスタ映えという点では、朝焼けか夕焼けのグランドキャニオンがお勧め。大抵はラスベガスとセットで両方まとめて行くのが便利。
但し家族でラスベガスに行くと、子供、奥さん、旦那と楽しみ、興味が違うので一緒に行動するのが難しい。カジノに子供は入れないし、子供向けのショーもあるが、大人向けのショーは子供が入れない。ショーのスケジュールも沢山あって事前に計画しないと1日のスケジュールが上手く組めない。