2018年5月8日火曜日

3.初めてのソビエト連邦、短期留学へ

ロシア語を勉強しているうちに、自然にソ連邦に行ってみたいと思うようになりました。
アルバイトをしながらお金を貯め、大学も1年余分に行き、大学5年生の夏休みに、一ヶ月半のロシア短期留学に参加する事にしました。
たしか交通費・宿泊費・食費・授業料すべて込みで40万円ぐらいだったと記憶しています。当時の日本円の強さを考慮し、またホテル等のグレードを考えると破格の安さで驚いたのを覚えています。
 ・訪問都市はモスクワ、キエフ、そして授業のあるレニングラード(現サンクトペテルブルグ)
 ・宿泊ホテルはレニングラードでは最高級ホテルのアストリアホテル
 ・ロシア語の授業はレニングラード大学の教授陣(但し授業はホテル内)
 ・各都市ではガイド案内つき見学ツアーあり
という豪華な内容。
おそらく相当な部分をロシア語普及=ソビエト社会主義の情宣の一環としてソ連政府が助成していて、この価格になってると思われます。
それにまだ日本円は国際通貨としては弱く
1983年1月末の対ドルレートといえば@¥240(本日で@¥108~109ぐらい)
ロシアルーブルに到っては当時は固定レートで1ルーブル=@¥360、今っていくらぐらいだと思います?驚く無かれ@¥1.74ですよ~2円弱!!なんと約210分の1
ヨーロッパ旅行なんて庶民にとっては高嶺の花、私が会社に入って初めての欧州出張の際のチケットがエコノミーで約85万円、ソ連領域は飛べないので、アンカレッジ経由で給油の為、アンカレッジに1泊していました。
今ロシアでもめったに見ないコペイカ(100コペイカで1ルーブル)も当時は1ルーブルは高額紙幣でもっぱら使うのはコペイカでした。お菓子やジュース買ったりする一日のおこずかいはMax1ルーブルだったのを覚えています。
そして交通費。すべての交通機関は国営なので、どちらかというと営利企業ではなく、社会インフラという感じで安い。そしていろいろな交通手段を楽しむことが出来ました。
 ・横浜~ナホトカ 結構クラシックな客船
 ・ナホトカ~ハバロフスク あの有名なシベリヤ鉄道。楽しいのは最初の数時間、後は退屈です。
 ・ハバロフスク~モスクワ~キエフ~レニングラード 飛行機、アエロフロート航空です。
当時、外国人に解放された都市はごく一部の都市だけで、ほとんどの都市には行けませんでした。
ウラジオストックは軍事的にも重要な都市で、外国人は絶対行けない場所でしたので、ソ連崩壊後、ウラジオストックに初めて足を踏み入れた時は感慨深いものがありました。
という事で1983年の夏休み初めてソ連(というか初めての外国)に旅立ちました。

(当時写真撮影はかなり制限があったので、面倒なのでほとんど写真は撮らず。以下の写真は最近サンクトペテルブルグ、旧レニングラードに行った時の写真です)
当時宿泊し授業もあったアストリアホテル。建物の外観は昔と同じでした。
アストリアホテルの目の前にある聖イサーキー寺院
ロシア帝国の首都、ロシアの京都ですね。正面に見えるのは血の上の救世主教会(スパース・ナ・クラヴィー大聖堂)、内部も壮観です!

教会内部です。

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