2019年4月26日金曜日

19. エストニアでの仕事

エストニアの首都タリンはヨーロッパ中世都市の面影をそのまま残した世界遺産にも登録されている美しい街です。今まで60か国近くの国を訪問していますが、「どこが良かった?」と聞かれる事がよくあります。そんな時は「ぜひエストニアのタリンに行ってみてください」と答えます。食事もとても美味しいです。

城壁の中の街並みはこんな感じ。石畳の道路に趣がある。
海洋水産博物館にて缶詰産業の歴史の展示
手編みのマフラーとかがお土産に最適
街は城壁に囲まれている
城内に入る門
仲良くなったVogueのモデルはこのホテルVIRUのバーで出会った。




タリンで最も高い塔、「聖オレフの塔」
旧市街のトームペアの丘に建つ、玉ねぎドームが可愛らしい正教会は「アレクサンドル・ネフスキー大聖堂」

14世紀に建てられた2つの石の塔からなるヴィル門

2019年4月20日土曜日

18. エストニアでの仕事

18. エストニアでの仕事
 オランダに長期出張、短期駐在していた時はよくバルト三国の一つ、エストニアに行っていました。バルト海のニシンを缶詰にする工場がPARNUにあって、この工場から数の子を買っていました。バルト海のニシンは太平洋のニシンと比べると小ぶりで、当然数の子も小さいのですが、ちょうど寿司の一貫サイズの大きさなので寿司だね向けにちょうど良い。缶詰には卵も含めて内臓は邪魔なので、すべて機械で除去して廃棄していました。数の子を捨てているのは勿体ないと買付けに行ったのですが、ソ連式のオートメーションラインで大量に処理しているのから外れて、「卵だけ傷つけないようにそっと取り出す」作業はかなり彼らにとっては面倒で手間・人手がかかる作業なので、説得するのも時間がかかり、またそれなりのコストもかかるので決して「ただで捨ててたものだから安い」という事ではありませんでした。PARNUはヨーロッパの古き雰囲気の残る港町で、この工場で働く女工さん達もみな美形でした。日本人がこの町を訪れる事は珍しく、工場で品質チェックの作業をしている時もよく皆に声かけられました。
 缶詰は黒い帯の平べったい丸い缶で、ロシアのほとんどのスーパーでこの製品を見かけます。ニシンはしっかり燻製にした後、油漬けにしてオリーブの葉や香辛料を入れ、缶詰にするもので、当時の思い出と共に大好物の一つでもあります。ウオッカのつまみにちょうど良い。
 工場はPARNUでしたが、本社オフィスは首都タリンにあり、タリンに宿泊する事もよくありました。タリンはヨーロッパの中で私が一番好きな街です。街が城壁に囲まれて、昔の趣がそのまま残っている一方、古い建物もちゃんと市庁舎等、現在もそのまましっかり使われ機能しているところが素晴らしい。城壁の中は路上でもWIFIがつながるというIT先進国でもあり、古い街ながらIT先進都市でもあります。
 タリンのホテルのバーで隣に座っていて、仲良くなった女性は「モデルとして働いている」と言うから、「どんなモデル?」と聞いたら「Vogueのモデルとか~」との答え。ちゃんと彼女が表紙になっているVogueも見せてもらいました。
 そんなこんなでエストニアにはいい思い出がいっぱいあります。
なんか旧ソ連のような昔懐かしい感じ。平均的に美形です。

ニシンのサンプルをチェックしている若き日の私。何をチェックするかというと抱卵率とか雄雌比率とか鮮度とか…

缶詰製品いろいろ。ウオッカのつまみに最高。対日向けの缶詰輸出も検討しました。おいしいけど売れなかった。

数の子は飽和食塩水につけて保管。なかなか加工処理は難しいのです。半プロですが現地指導は私がやりました。

缶詰にする前に一旦燻製にします。それがまた美味しいんですよ~

ここはいずれにせよ人が作業する部分。結構手間がかかります。

缶詰の蓋をする前の状態。



遥か遠くからやってきた日本の青年は結構モテました(笑)

2019年3月21日木曜日

17.若き副社長の時代 その5

17.若き副社長の時代 その5
昆布は北海道の漁業者を守るため、輸入枠が決められ輸入が制限されている。それでも将来の輸入自由化の可能性を見据えて、サハリン州にはどんな昆布があるのか合弁会社でも調査を行った。
 しかし調査を行おうにも日本のように海岸に沿って道は無く、海岸に行くにも道のないところを進まなければ海岸にたどり着かない。それも1ヶ所調査するのではなく、数箇所のポイントで調査するとなると大変だ。
 そんな事で悩んでいたら、そこはサハリン州とのパイプが強いパートナー会社が州政府ルートで頼み、沿岸警備隊のヘリコプターを出してもらえる事になった。パイロットの訓練と整備の為に規則的にある飛行時間は確保しなければならないし、沿岸警備目的でも日常的に飛行しているので、その飛行の一環としてヘリに同乗するのは構わないという事だった。
 そんな訳でサハリン州の数箇所の海岸にヘリで飛んでいって昆布のサンプルを採集した。勿論サハリンの海は北海道とそれほど変わらない生態系なので、北海道と同じ様ないい昆布がそこにはあった。
 ただウニも沢山繁殖はしているものの、誰も漁獲しないので、過剰繁殖して逆に餌が足りなくなっている状態の為、ウニの可食部分の美味しい卵の部分は少なく、味も美味しくない。日本のようにある程度漁獲し「間引く」事で、ある一定の数量に繁殖を抑え、しっかり身の詰まったウニが育つ。サハリンのウニは北海道のウニに比べ品質は悪かった。それでもどんどん漁獲して、ある程度間引いていけば、だんだん身が詰まってくるであろうと予想された。そうやって海岸の生物の調査をしていると、水産学部でそんな事をやっていた大学時代に戻ったような気持ちだった。
 湾岸警備隊のヘリコプターで海岸調査
 空から見たユジノサハリンスク


 海に入って昆布採取
 まあまあの品質の昆布
ナマコはいっぱいいるので商品化を検討

2019年1月28日月曜日

16. 若き副社長の時代 その4

16.  若き副社長の時代  その4

 当時はソ連崩壊後すぐの頃でソ連全体では物不足で大変な時代だったが、当時のサハリンはそれでも食料については困った感じではなかった。
 合弁会社のパートナーは食料品店も経営していたが、旧ソ連式で商品は店員の後ろのカウンターに陳列しており、お客は商品に手を触れる事ができず、店員に頼んで商品を見せてもらい、気に入ればキャッシャーに行ってお金を先に支払い、その領収書を店員に渡し、代わりに商品を貰うシステムであった。今のようにお客が自分で商品を手にとって選んで、キャッシャーに持っていくスーパーマーケット方式になったのはソ連崩壊後の事である。
 生産者が直接持っていって販売する青空市場もあり、新鮮な野菜も買えた。
 週末はする事も無いのでユジノサハリンスク市内を散歩して写真を撮っていた。






2018年12月23日日曜日

15.若き副社長の時代 その3

15.若き副社長の時代 その3
 クリスマスシーズンという事でクリスマスの思い出。と言ってもロシア正教のクリスマスは1月7日なんですけどね(写真の日付は91年12月28日とあるので忘年会ですね)
 親会社と合弁会社社員が皆参加してのクリスマス会、サハリンの夜に他に楽しい事がある訳でなく、社員全員が会社行事のクリスマスパーティーを楽しみにしています。ダンスあり、歌や演奏あり、小話ありと普段オフィスでは見せない面を皆見せてくれます。私の運転手は「お笑い」担当、アネックドートというロシアのお笑い小話を披露、ロシアの宴会には必ず誰かがやる事が習慣になっています。
 サンタクロースに相当するのはジェットマロース、まさにサンタおじさんです。そしてロシア特有なのはスニエグーラチカという「雪の女の子」というのがクリスマス会のスターです。勿論かわいい+美人+「スターになりたい」「目立ちたい」という気迫が必須という役、私の秘書は美形ではありますが、人を押しのけてというタイプでなく、親会社の営業部長で社長の娘がこの役をやりました(彼女の名前も思い出せない…あんなに世話になったのに)
 勿論、ロシアの宴会ですから最初はシャンパン、ワインでスタートしますが、やっぱり後半はウオッカの応酬。私も芸が無いので下手なロシア語で挨拶して、ウオッカを一気飲み、そしてダンスというパターンでした。ロシア人はダンス好き、スニエグーラチカも酔っ払うと日本から来ている私を独占したがり、写真を見るといつも彼女と写っている記憶がありました。
ジェットマロースは財務経理のハンサム系男子
スニエグーラチカは自他共に認める美形営業部長。小学校時代のお芝居でも主役をはってきたタイプ(笑)
「アラブからきたお客」という役の二人がりんごを配る
歌と踊り。
お笑い担当の運転手が「小話をひとつ…」
ウオッカを飲んで踊る酔っ払いの私
酔っ払って抱きつかれてる私
元社長。サハリン州の副知事になったので利益相反の為、退任。
彼女との2ショットの写真多し。まるで私の横は彼女のポジションという感じなのか…
若者中心の飲み会で。

2018年12月3日月曜日

14.若き副社長の時代 その2

14.若き副社長の時代 その2
サハリンでの合弁会社では当時極度の物不足に苦しんでいたロシア極東で、安くて品質の良い日本の商品を販売するマーケットの展開を計画していた。とは言え、物不足=外貨不足という根本的な問題あり、日本から商品を仕入れるにせよ、それを支払う外貨が無い。それゆれ、まずは何とか外貨獲得の手段を合弁会社で考えなければならなかった。外貨獲得の為の輸出といっても、天然ガスといった大規模投資を必要とするアイテムは扱い不可能で、大きな投資を必要とせずに、何かサハリンから日本向けに輸出できる商品開発が求められていた。
 となるとやはり水産物や農産物という事になる。タラバガニやボタンえびは当時のロシアにとって外貨獲得の為のドル箱商品であり、その輸出は既得権益として限られた輸出業者が牛耳っていた。新参者が取り扱える商品はまだそれほど開発されていない蕨、ぜんまい、ねまがりダケといった山菜、昆布、シジミ、なまこといった水産物に限られていた。
 そこで我々が目をつけたのは北海道の食卓ではよく見かける「ラワンブキ」の商品開発であった。なにしろ山に行けばフキは山ほど生えている。誰も取らないので収穫の許可を取るのも簡単だった。ただ大変なのはフキの密生地に行く道がないので、道を切り開いてから刈り出さなければならなかった事、運よく出会わなかったがそういうところには野生の熊がいて危険だった事、失業者は多いのにフキを刈取るワーカーがなかなか集まらなかった事などである。
 刈取ったフキは筋を綺麗に取り除いて、ボイルした後、塩漬けにして、樽に詰めた。樽は結構高価なのだが、ポリタンクやポリ容器は現地でなかなか手配できず、昔ながらの樽を容器として使用するしかなかった。フキを茹でた時に、綺麗な緑に仕上がるように釘を入れて茹でていたが、一日中野外作業で日焼けしたりして農家の生活のようで、新鮮な日々だった。その土地に詳しいガイドに山を案内してもらい、何か日本向けに輸出できるもの(主に山菜だが)を山の中で探した。ねまがりダケは結構あったが、商業的に採算が合うかは難しそうだった。


ラワンブキを刈取るワーカー
作業中暑くて裸に
フキの加工場。といっても野外です
この事業のパートナーの社長。「これがお金になるの?」と
後ろ向いている左端の人物が日本人でフキの加工方法を現地の人に指導している様子

13.若き副社長の時代 その1

13.若き副社長の時代 その1
 ソ連崩壊直前の1990年、サハリンでは州政府にも強いパイプを持つ同州で多角的な事業を展開するサハリントレードセンター社とわが社は合弁会社サハリンジャパントレードセンター社を設立した。当時のサハリン州知事は革新的な経済学者でもあるフョードロフ知事で、会社経営に当時は斬新な日本の資本主義的な経営手法を取り入れようと知事の強い後押しもあって設立された合弁会社であった。社長はロシア側、副社長は日本側から出す事になり、なんと30歳にして同社の副社長を拝命する事となった。
 当時札幌支店におり、タラバガニの輸入取引で爆発的に利益を上げていたという実績が評価されたという事もあり、ロシア語も出来るという強みのおかげという事もあったが、副社長抜擢の理由は別にあった。
 というのはパートナーの会社サハリントレードハウスは会長・社長・副社長以下幹部はすべて女性というアマゾネス軍団のような会社。州政府にも強い影響力を持つおば様方が幹部で、会長はその後副知事に就任、州政府とも関係が強い企業の幹部という事で利益相反の立場から結局会長は辞任した形となった。
 そこでうちから副社長として誰を出すかと当時の役員・部長が考えた挙句、「強力なおば様方と衝突せずに彼女達にうまく取り入れそうな人材」という事で(当時はまだ)イケメン青年男子だった私が抜擢された形となった。当然合弁会社の経営で日露双方で意見が対立するケースも多々あったが、ハードネゴという形でなく、私が「お願いモード」でソフトに提案する事で、こちらの意見を取り入れてくれる事も多かった。
 合弁会社のオフィスも親会社の中にあったが、個室も与えられ、その個室の前には超美形の秘書がいた。親会社はレストランも経営しており昼はそこでランチを取るのだが、いつもその美形の秘書が同行して一緒に食事をしてくれていた。
 会長・社長に会うと「どう?元気?寒くない?ご飯はちゃんと食べてる?困ったことは無い?」と母親如くいつも心配してサポートしてくれて嬉しかったが、彼女達のひんしゅくを買わないようにサハリンでは昼夜品行方正に過ごしていた。社内は勿論、サハリンは社会が狭いので、どこでも関係者・知り合いがいるので、夜も羽目をはずす事なく過ごしていた記憶がある。
 合弁会社の社長だけはイケメン中年男子のブリロフ氏が就任、なかなかの人格者で親会社女性陣からの信頼も厚く、ジェントルマンでもあり、彼とは非常にいい関係を築く事が出来た。
サハリン州フョードロフ州知事と@州知事室で。当社のロシア室長と。
サハリントレードハウス社ののマダム・レベジョバ社長
左側女子が私の専属秘書。写真よりずっと美形~両隣も女性社員
会社のPartyにて
親会社の社長とは常に仲良く、いい関係で
不覚にも今は彼女の名前がでてこない~