ソ連崩壊直前の1990年、サハリンでは州政府にも強いパイプを持つ同州で多角的な事業を展開するサハリントレードセンター社とわが社は合弁会社サハリンジャパントレードセンター社を設立した。当時のサハリン州知事は革新的な経済学者でもあるフョードロフ知事で、会社経営に当時は斬新な日本の資本主義的な経営手法を取り入れようと知事の強い後押しもあって設立された合弁会社であった。社長はロシア側、副社長は日本側から出す事になり、なんと30歳にして同社の副社長を拝命する事となった。
当時札幌支店におり、タラバガニの輸入取引で爆発的に利益を上げていたという実績が評価されたという事もあり、ロシア語も出来るという強みのおかげという事もあったが、副社長抜擢の理由は別にあった。
というのはパートナーの会社サハリントレードハウスは会長・社長・副社長以下幹部はすべて女性というアマゾネス軍団のような会社。州政府にも強い影響力を持つおば様方が幹部で、会長はその後副知事に就任、州政府とも関係が強い企業の幹部という事で利益相反の立場から結局会長は辞任した形となった。
そこでうちから副社長として誰を出すかと当時の役員・部長が考えた挙句、「強力なおば様方と衝突せずに彼女達にうまく取り入れそうな人材」という事で(当時はまだ)イケメン青年男子だった私が抜擢された形となった。当然合弁会社の経営で日露双方で意見が対立するケースも多々あったが、ハードネゴという形でなく、私が「お願いモード」でソフトに提案する事で、こちらの意見を取り入れてくれる事も多かった。
合弁会社のオフィスも親会社の中にあったが、個室も与えられ、その個室の前には超美形の秘書がいた。親会社はレストランも経営しており昼はそこでランチを取るのだが、いつもその美形の秘書が同行して一緒に食事をしてくれていた。
会長・社長に会うと「どう?元気?寒くない?ご飯はちゃんと食べてる?困ったことは無い?」と母親如くいつも心配してサポートしてくれて嬉しかったが、彼女達のひんしゅくを買わないようにサハリンでは昼夜品行方正に過ごしていた。社内は勿論、サハリンは社会が狭いので、どこでも関係者・知り合いがいるので、夜も羽目をはずす事なく過ごしていた記憶がある。
合弁会社の社長だけはイケメン中年男子のブリロフ氏が就任、なかなかの人格者で親会社女性陣からの信頼も厚く、ジェントルマンでもあり、彼とは非常にいい関係を築く事が出来た。
サハリン州フョードロフ州知事と@州知事室で。当社のロシア室長と。
サハリントレードハウス社ののマダム・レベジョバ社長
左側女子が私の専属秘書。写真よりずっと美形~両隣も女性社員
会社のPartyにて
親会社の社長とは常に仲良く、いい関係で
不覚にも今は彼女の名前がでてこない~
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