アメリカの小学校はなかなか良かった。シアトルにいた時の小学校も良かったが、ポートランドに移駐して転校した小学校は自然に囲まれて、校舎校庭も広々としていた。学校の裏手には森林があり、先生は生徒にその森には入らないように注意していた。やはり誘拐や変質者が現れたりする恐れがあるからだ。
PTAの影響力も強いので、先生と父母のコミュニケーションの機会も多い。妻はあまり英語が得意では無いので、年に数回ある担任との面談は私が行っていた。まあ学校は楽しく行っていたし、友達とも仲良くしていたし、成績も良かったので、あまり面談で困るような事はなかった。我々も含め駐在員で派遣されている家族は、一応はちゃんとした収入も仕事もあり、家庭に問題のある事は少ないし、何しろいずれはアメリカから比べれば、相当厳しい日本の学校に戻らなくてはいけないので、基本的には「やるべき事、やらなくてはいけない事はキチンとやる」。でもローカルの家庭はいろいろ問題を抱えているケースも多く、そういった生徒の対応に担任は頭を悩ませていた。
うちの長男は数学が得意と評価され、飛び級で数学だけ近くの中学校のクラスに入る事になり、それについての父母の説明会があった。
席に座って説明会が始まるや否や、紙が配られ、今から30分で紙に書いてある問題を解いて下さいと言わて慌てふためいた。いわゆる抜き打ちテストというやつである。それも数学というより暗号の解読=クイズみたいな問題で、例題の規則性を見つけ解くというような日本のクイズ番組で出題されるような内容だった。ほぼ零点で冷や汗かいた。
結局 飛び級のまま、転勤で日本に戻り、日本の小学校に入ったが、今度は算数は「できない子」のレッテルを張られ、放課後補習授業を受けさせらた。アメリカでは飛び級、日本では落第のレッテルで子供自身は日本に帰国しての最初に試練であった。
子供は日本で言う6年生の1月に帰国したので、もう卒業まで3か月しかないし、今更行くこともないと思って家で勉強させてたら、県の教育委員会から呼び出しを喰らい、「義務教育の放棄」でそれは法律に違反すると言われ、しぶしぶ小学校に3か月だけ行かせた。たった3か月だけなのにたっぷりイジメにもあい、早くも異端を排除する日本社会の洗礼を受ける事になった。
アラスカで流氷のかけらを持って
シアトルバレエ団は米国内でも5指?に入るぐらいの名門バレエ団。バレエ学校併設され、日本人の子女も結構入っていた。プリマの一人が中村さんという日本人で彼女を応援する為にシーズン券を買っていた。シーズン券を買ってると、なんとなく楽屋にも割と出入りできるようになって、その日のプリマには花を渡したりしていた。
アラスカの採金場で、砂金を取っているところ。昔人々は金を求めてアラスカに来ていた。今でも名人は結構採れるのだそうだ。
日本はあまりしないがアメリカでは子供がどっかに行かないよう犬同様ラインでつないで散歩する。最初は抵抗あったが慣れると便利