2019年4月27日土曜日

20. ロシア極東でイクラ作り


20. ロシア極東でイクラ作り
ロシア極東に関しては、普通のロシア人(ロシアの水産業者以外で)の誰よりいろいろな場所に行っています。サハリン州は駐在していたので、島の各地漁村はほとんど行っていたし、北からカムチャッカ、収容所で有名なマガダン、大黒屋光太夫が流れ着いたオホーツク、ウラジオストック、ナホトカ、ソフガバニー等極東沿岸の都市は殆ど出張に行きました。ソ連崩壊後、外国人が自由にロシア極東に入れるようになって、水産物の買付け先を求めて「ローラー作戦」的に極東沿岸をなぞる様に各地を訪問したのでした。と言うのも水産物の商談は、というかあらゆる貿易商談は中央官庁である貿易公団がコントロールしており、すべてモスクワにて行われていました。現地での検品や生産指導が許されないまま中央で一発商談するのはもどかしくはありましたが、それこそが社会主義国だったので仕方ありませんでした。それが社会主義体制の崩壊で自由に生産現場を見て回れるという事と、売買の権限が実質生産者が握るようになって、商売をする為には地方まで行って現場で生産者と関係づくりをしなくてはいけない状況になった事が理由でした。
 そしてイクラを求めてに極東の僻地、ニコライフスク・ナ・アムールに出張に行きました。この辺りは湿地が多く、道路が整備されていなかったのか、近くの空港が遠かったのかから、ヘリコプターをチャーターし、着陸地点からは水陸両用車に乗って現場まで行った記憶があります。名前の通りアムール川の河口近くにあり、シーズンになると大量のサケが遡上してくるので、これを漁獲してイクラを取り出します。ちなみにいくらはロシア語で「魚卵」の事で「赤いイクラ」=日本でいうイクラ、「黒いイクラ」=キャビア、ニシンのイクラ=数の子、助宗だらのイクラ=たらこといった感じになります。
 サケから魚卵を取り出し、それを網の上で揉んで粒を皮から取り出し、その粒を塩水につけて熟成させてから脱水し、イクラが完成します。こんな感じ。




遡上のシーズンになればサケは大量に遡上する。獲ったサケはオープンデッキの輸送船で加工場に持ち帰る。漁船の方は漁場から離れず、短いシーズンをフル稼働する。

 実際遡上してくるサケ自体はあまりおいしくない。なぜなら魚の脂はすべてイクラに回り、肉はパサパサしている。北海道では「ほっちゃれ」と言って「捨ててもいい」価値のない物とされている。だから北海道では「ほっちゃれ」は野菜と一緒にバターで炒めて「ちゃんちゃん焼き」にする。「脂の乗っている本当に美味しい鮭」は時しらず、時鮭と言って「遡上時期の前に」「外洋で獲れた」サケを珍重する。


すじこと内臓を出したサケは塩漬けにする。そして塩漬けにしたサケは雪で冷やした冷暗室で保管する。電気で稼働する冷蔵庫は無かった。シーズンは6月だが、彼らは大量の雪を地下に埋めて保管して、夏使う。

とんでもない僻地に来たと思っていたのに、工場ではこんな美人のワーカーがイクラを揉んでいた。都会に出れば確実にモデルとして働けそう…


2019年4月26日金曜日

19. エストニアでの仕事

エストニアの首都タリンはヨーロッパ中世都市の面影をそのまま残した世界遺産にも登録されている美しい街です。今まで60か国近くの国を訪問していますが、「どこが良かった?」と聞かれる事がよくあります。そんな時は「ぜひエストニアのタリンに行ってみてください」と答えます。食事もとても美味しいです。

城壁の中の街並みはこんな感じ。石畳の道路に趣がある。
海洋水産博物館にて缶詰産業の歴史の展示
手編みのマフラーとかがお土産に最適
街は城壁に囲まれている
城内に入る門
仲良くなったVogueのモデルはこのホテルVIRUのバーで出会った。




タリンで最も高い塔、「聖オレフの塔」
旧市街のトームペアの丘に建つ、玉ねぎドームが可愛らしい正教会は「アレクサンドル・ネフスキー大聖堂」

14世紀に建てられた2つの石の塔からなるヴィル門

2019年4月20日土曜日

18. エストニアでの仕事

18. エストニアでの仕事
 オランダに長期出張、短期駐在していた時はよくバルト三国の一つ、エストニアに行っていました。バルト海のニシンを缶詰にする工場がPARNUにあって、この工場から数の子を買っていました。バルト海のニシンは太平洋のニシンと比べると小ぶりで、当然数の子も小さいのですが、ちょうど寿司の一貫サイズの大きさなので寿司だね向けにちょうど良い。缶詰には卵も含めて内臓は邪魔なので、すべて機械で除去して廃棄していました。数の子を捨てているのは勿体ないと買付けに行ったのですが、ソ連式のオートメーションラインで大量に処理しているのから外れて、「卵だけ傷つけないようにそっと取り出す」作業はかなり彼らにとっては面倒で手間・人手がかかる作業なので、説得するのも時間がかかり、またそれなりのコストもかかるので決して「ただで捨ててたものだから安い」という事ではありませんでした。PARNUはヨーロッパの古き雰囲気の残る港町で、この工場で働く女工さん達もみな美形でした。日本人がこの町を訪れる事は珍しく、工場で品質チェックの作業をしている時もよく皆に声かけられました。
 缶詰は黒い帯の平べったい丸い缶で、ロシアのほとんどのスーパーでこの製品を見かけます。ニシンはしっかり燻製にした後、油漬けにしてオリーブの葉や香辛料を入れ、缶詰にするもので、当時の思い出と共に大好物の一つでもあります。ウオッカのつまみにちょうど良い。
 工場はPARNUでしたが、本社オフィスは首都タリンにあり、タリンに宿泊する事もよくありました。タリンはヨーロッパの中で私が一番好きな街です。街が城壁に囲まれて、昔の趣がそのまま残っている一方、古い建物もちゃんと市庁舎等、現在もそのまましっかり使われ機能しているところが素晴らしい。城壁の中は路上でもWIFIがつながるというIT先進国でもあり、古い街ながらIT先進都市でもあります。
 タリンのホテルのバーで隣に座っていて、仲良くなった女性は「モデルとして働いている」と言うから、「どんなモデル?」と聞いたら「Vogueのモデルとか~」との答え。ちゃんと彼女が表紙になっているVogueも見せてもらいました。
 そんなこんなでエストニアにはいい思い出がいっぱいあります。
なんか旧ソ連のような昔懐かしい感じ。平均的に美形です。

ニシンのサンプルをチェックしている若き日の私。何をチェックするかというと抱卵率とか雄雌比率とか鮮度とか…

缶詰製品いろいろ。ウオッカのつまみに最高。対日向けの缶詰輸出も検討しました。おいしいけど売れなかった。

数の子は飽和食塩水につけて保管。なかなか加工処理は難しいのです。半プロですが現地指導は私がやりました。

缶詰にする前に一旦燻製にします。それがまた美味しいんですよ~

ここはいずれにせよ人が作業する部分。結構手間がかかります。

缶詰の蓋をする前の状態。



遥か遠くからやってきた日本の青年は結構モテました(笑)