38 アメリカンライフ 仕事編①
もし自分が死ぬ直前に「何が食べたいか?」訊かれたら、迷わず「アメリカンチェリー」と答える。ほんと、ピーク時のアメリカンチェリーの美味しさといったら、言葉では表現できない。恐らく普通の人の大げさでなく100倍ぐらい食べているけど、それでも未だに全く飽きない。
もともと当社(東京丸一)はアメリカンチェリーの輸入についてはフロンテイア的な存在でピーク時には貨物輸送機を1機チャーターして産地から日本に飛ばすぐらいの数量を扱っていた。ある時期からアメリカンチェリーの輸入に多くの業者が参入、特に当時急激な成長をしていたスーパーD社が大大的に輸入し店頭で販売したので、日本市場での認知度も急速に高まった。
そこで当社は戦略をアメリカンチェリーの中でも本当に高品質のものだけに絞って輸入する事にしていった。お客様も高くても高品質のものを望むNパーラーやS屋の贈答用向けとなった。
シーズンは5月上旬からカリフォルニア産からスタートし、6月中旬頃にオレゴン州からワシントン州に収穫期が北上して7月下旬辺りまで続く。当社のアメリカ人バイヤーは収穫前にカリフォルニアの産地に入り、収穫が始まったらパッキングに立ち合い、収穫期のピークに合わせて北上しながら移動していく。この時期はチェリーの担当者は2か月ぐらい家を留守にする。
私は当時米国法人の食料部門のGMをやっていたが、基本的なスタンスとして「現地現物」として水産(これは本業でしたが)、畜産、農産、穀物あらゆる自社取り扱い商品の産地には1度は足を運び、生産者と会い、当社に商品を供給してくれる事に感謝する事をポリシーとして実行していた。
カリフォルニアの取引先パッカーはイタリア系のオーナーでカリフォルニアでもトップクラスの品質と評判がある一方、取引先は当社も含め数社に限定しており、新規にはなかなか取引できない優良取引先であった。銀行から借入をしない方針で収穫期前の準備の為の必要資金は買手に対し商品販売代金のアドバンスペイメントの要請があった。そんな事もあって、シーズン前シーズン中も一度は足を運ぶ必要があった。
「一度は産地に足を運ぶ」という自分の基本ポリシーだけでなく、日本からのお客様を現地の収穫時期に産地を案内するアテンドの仕事もあり、ある程度現地でスラスラ説明できる程度には事前に勉強しておく必要はあった。
またチェリーのシーズンは2か月誰かが産地に張り付く必要があり、ほとんどは担当バイヤーが張り付くものの、土日休日もなく家にも帰れないので、丁度中間のオレゴンがピークぐらいの時期に3泊4日ぐらい担当を自分が代わって、担当者に休暇を取らせていた。
シーズン中はパッキング工場は24時間動いている。とはいえ24時間当社向けの製品をパッキングするわけではなく、「おたく向けの製品は深夜2:00からパッキングします。終わるのは4:00ぐらいかな」という事前に連絡があるので、その時間に立ち合います。自社向けにパッキングするのは全体の5-10%ぐらいの「サイズが10ロウ以上」「完熟しているもの」「傷や痛みがない物」だけなので、それ以外のものが入らないように、現場でチェックするのが日々の仕事となる。
では夜パッキングの時、昼は何をしているかというと畑を回り、どこの畑のチェリーが美味しいか糖度計やサイズ定規を持ってチェックしている。そして「ここの畑のこの部分のチェリーをウチ向けに回してくれ」とパッカーにお願いする。畑によって驚くべく味・甘さが違うので、どのロットを当社向けにするか決めるのは重要な仕事となる。その為にどれほどチェリーを試食してきたか、それが冒頭の「他人の100倍は食べている」という所以である。
こんだけ食べてきてもまだ食べ飽きない。特に今は食料の仕事からも外れているので、更に食べる機会は少ないので、アメリカンチェリーのシーズンに美味しいチェリーを食べると産地を走り回っていたあの頃を懐かしく思い出す。