21. アムステルダム駐在時代 その1
欧州の魚の買付け担当でヨーロッパに頻繁に行っていた私は、アムステルダム常駐を命じられた。正確にいうと辞令が出て駐在した訳ではなかった。と言うのも元々アムステルダム事務所は所長一人のワンマン事務所だったのだが、所長が個人的に会社のお金を流用していたのが発覚、解雇したところ、不当解雇でオランダで逆に会社が訴えられ、Defendantとしてオランダの裁判所で戦う事になったので、現地で常駐してその仕事を担当する人間が必要になった。
私は以前からオランダに何度も出張しており、オランダには詳しいという事、またいずれにしても水産物の買付けの仕事でオランダには頻繁に行くので、ちょうど良いので私にそのままオランダに居ろという会社からの指示だった。
アムステルダムには欧州全体の水産物を扱う大手Dealerがおり、当社の仕入れ先としてもTOP10に入る会社があったが、そこの社長は頑固だが私の言う事はよく聞いてくれたので、私はその会社の担当だった。その社長R.O.氏は金髪をオールバックにした当時のイメージではハンサムで金持ちの実業家の「デビッドボーイ」という感じで、何しろ格好良かった。彼の黒いスーツに派手な色のシャツとネクタイのファッションに憧れて真似していた(私の今のファッションスタイルの原点はそこにある)
ところで何故彼が交渉力も英語力もない若い私の言う事をよく聞いてくれたかは常駐して分かった。彼は細身でハンサム(当時はね)なアジア人の青年がお好みだったのである。時々、19-20時ぐらいの微妙な時間に電話かけてきて「今から食事に行こう」と彼から誘われる。こちらは重要取引先の社長からの誘いを断る理由もなく、最初はどんな仕事の話をされるのか心配していた。しかし食事の後は彼の真っ赤なアルファロメオでただドライブするだけで仕事の話は無かった。何度か同じ様な事があり、時々彼の手がギアシフトレバーから離れ私の手を握るようになって、なんとなく彼の趣味が判ってきた。
彼は独身でモデル級の美女の彼女がおり、「金持ちハンサムでアルファロメオのスポーツカー」ときたらモテない訳はない、と彼にある種の憧れを抱いていたが、実は彼には彼氏もいた。私はそちらの方の嗜好は全く無いので、R.O.氏もそれは感じたらしく、また取引先という事もあり、謎のドライブ以上に発展する事は無かった。
裁判の方は弁護士も雇い、実際裁判も開かれたのだがなんと会社側が敗訴していまい、私にとっては驚きの結果だった。その理由は二つあり、
1)そもそも欧州では労働者側(=弱者側)に配慮した判決が出やすい。そもそも社会的にも欧州は雇用義務、解雇の条件が厳しい法律になっている
2)当社の監査が定期的にしっかり行っておらず、監査自身の不備が指摘された。その監査結果を理由にした解雇は認められないというロジック
ところが更に驚きの展開で、「そもそも駐在事務所の所長と会社の雇用契約は日本国内で結ばれたものであり、オランダの裁判結果に従う必要はない」とう日本での弁護士のアドバイスで結局オランダの法廷闘争は何の意味もなかった。
それでも元所長はこの裁判結果を盾に取り会社と交渉して、多少有利な条件で退職したらしいという話を後で聞いた。
一方私はオランダでの法廷闘争を担当する事で今までは関係なかった法務部とも繋がりができ、この関係の担当役員から「(営業以外の未経験な仕事をさせて)大変だったねえ」とねぎらいの言葉を頂いた時、「いい経験で勉強になりました。裁判面白かったです」と答えた事がきっかけで、このオランダ駐在の後、別の訴訟を抱える米国に移駐となった。
アムステルダムオフィスのあったビル。ライツ広場に面していて大きな公園が近くにあった。REGUSのシェアオフィスに入っていた。
REGUSのシェアオフィス。アムステルダムに部屋の賃借契約があると全世界どこの都市でもREGUSグループのオフィスが借りられる。ロンドンの事務所をよく借りていた。共有の秘書も頼めばいろいろやってくれてロンドン出張ではオフィスや会議室を借り、ホテルも事前に予約してもらった。
前のアムステルダム事務所はアポロラーン通りにある一軒家で、オフィス兼所長宅でもあった。裁判で争ったので、そちらの事務所は前所長に占拠されていたので、やむを得ず私はシェアオフィスを借りる事になった。自宅とオフィスを一緒にするなどそういう仕組みが公私混同や不正が起きる温床となったと思う。
運河めぐりで食事をするオランダ版屋形船。結構お客も多かったので、一人でいる時も観光ルートのリサーチをして、いざ接待する時に要領は既に得ているようにしていた。