2020年4月5日日曜日

23 アムステルダム駐在時代 その3

23 アムステルダム駐在時代 その3
 ノルウェーの養殖サーモンについてはノルウェー自身も始めたばかりで、なんとか海外市場を広める為にノルウェー側も売り込みに積極的で私もそれに応えて、築地の取引先に一生懸命売り込んだ。でも反応は冷たく、「色がオレンジで美味しそうでない」「脂が強すぎる」「日本人がサケのイメージを持つ紅鮭のような味ではない」等あれこれネガティブな問題点を挙げられたが、やはり大きな理由は「日本はサケを生で食べない=刺身・寿司だねの需要が無い」という事であった。確かに天然サケには寄生虫がいて生で食べるのはルイベ等一旦冷凍してから食べる以外は危険とされていたし、そもそも業界人はサケを生で食べる発想が無かった。結局、私の現役世代では日の目を見なかった。その後ノルウェーサーモンの市場が爆発的に広がったのは、やはり「回転ずしブーム」とそれを支える子供達のおかげだった。「回転ずし」はそもそも寿司業界では異端児であんなものが流行るとは当初思われておらず、一方回転ずし業界は安くて美味しいネタなら何でも載せて売っていく方針で、魚に限らず焼肉、ハンバーグ、イベリコ焼豚も寿司ネタにしていった。また回転ずしブームを支える子供世代は、「元来サケは生で食べない」「寿司ネタは旬の魚」といった既存の概念は無く、白紙の状態から美味しいもの、自分の好きな物をオーダーしていった。その結果、脂が乗って美味しいノルウェーサーモンは子供達から圧倒的な支持を得ていった訳である。今でも回転ずしでサーモンを食べると当時の記憶が蘇り、当時ダメ出しした業界人の面々に今会ってみたいとと思う。

 オランダ駐在期間は短かったが、楽しかったし刺激的だった。まだ日本人が経済的にそれほど簡単に海外旅行に行ける時代では無く、特にヨーロッパは航空運賃もホテル代も高く、それなりのお金持ちしか訪れる事はできなかった。私が最初にヨーロッパ出張に行ったときは、まだソ連領空内に飛行機が飛べず、アンカレッジ経由でアラスカで一泊して飛んで行った。結構取引先も偉い方々も視察等を理由に出張し、一方でヨーロッパ観光も期待してたので、どの都市に行っても顧客アテンド対応ができるように一人でもいろいろ観光地は観て回った。

私の好きな街、ノルウェーのベルゲン。ここからゲイランガーフィヨルドへの観光クルーズ船がでる。
デンマークのお城。確かハムレットの舞台となった城だったような…シェイクスピアの石像があった。

仕事柄、魚屋があれば必ずチェック、どんな魚が売ってるか、値段はいくらか、どんな加工がされているか、興味津々。知らない魚は買って試食していた。

確かデンマーク。北欧も街は似ているのでどこだか思い出せない。覚えているのは、このカラフルな防水コートはノルウェーのお気にいりのブランドのもので当時の写真ではいつもこれを着ていた。ヘリ―ハンセンの廉価版ブランドでブランド名は忘れた。

週末は乗馬ツアー。これはアイスランドレイキャビックでの乗馬ツアー。お弁当を持って1日で山々を回るツアーで、馬をで道なき草原を歩くのは楽しかったし、ツアーのメンバーとも仲良くなれた。テントと食料を担いで行く1週間のツアーもありましたが、さすがにこれには参加できず。リタイヤしたら参加してみるかな。


2020年4月4日土曜日

22 アムステルダム駐在時代 その2

22 アムステルダム駐在時代 その2

いやあ、週末の外出禁止。参加予定のパーティも友人との食事もすべてキャンセル…という事でブログの更新でもするか…昔の記憶もどんどん薄れていくからね。

 入社、水産部に配属されてからずっと北方魚の担当でした。商品担当とはすなわち地域担当でもあり、北方魚で言うと青物、サケマス、カニ、魚卵といった商品の担当で地域で言えば、欧州・ロシア極東・アラスカ・東カナダの担当でもあります。
 アムステルダム駐在といってもオランダにずっといる訳ではなくアイスランド・ノルウェー・デンマーク・フィンランド・エストニア・ロシア・フランス・スペインに週末毎に移動していました。何故かというとDiscountチケットは「往復1週間以上、移動は週末」というが一番安いというのが理由でした。
 アムステルダムに駐在していた頃で年間1万5千トン水産物を買付けしてました。一番多いのがノルウェーサバで約6千トン、アイスランドシシャモ・シシャモ卵で4千トン、オランダ・アイルランドアジで3千トン、その他が残りの魚種。その頃ずっとノルウェーサーモンの日本への売り込みをしていたが「そもそもサケは刺身・寿司ネタにしない。色も悪い」等築地の取引先からは評判悪く、取り扱いを断念。他の業界で言えば「インターネットなんか普及するわけがない」と言われた時代があったようなものですね。この辺の話は後日。

 サバは年間6千トン買付けしてましたが、すべてのロット(一回の漁獲)について検品し、大抵は試食していました。特にサバは身がゼリー状になっている物があり、これはほぼ価値がないので一番気をつけていたし、それ以外も鮮度・打ち身・身色などいろいろチェックポイントはあり。



サバだとこんな感じに2枚におろして検品。その後にしめさば、塩サバ、サバみそ等に調理して試食。もうサバのシーズンは毎日サバです。


アジだとこんな感じに開きにして検品。開き方が上手い?それはアジ開き専門の包丁で開いているのと、アジの開き方の研修を沼津の取引先で受けて勉強したからです。

 アジはもちろん日本では開き用途が多いのですが、オランダの魚市場で日本から来たアジの開き加工屋さんと一緒に買付けするのです。日本の会社なので私は買参権はないので、仲買人と組んでオークションで競り落とします。
 ライデンやスケベニンゲン(名前が面白い!)などの港の魚市場に朝早く行って、生のアジを検品、高く買ってくれる日本のバイヤーの特権で特別に何匹がサンプルを貰って、大急ぎで開いて寄生虫がいないか、脂は乗っているかなどをチェック、買付けするかどうか検討します。
 ただオランダの競りは難しい。日本は下からの競り上がり方式なので、仲買人に「もっと上げていいぞ!」「ここは降りよう!」とか指示が出しやすい。しかしオランダの競りは上からの競り下がり方式なので、価格がだんだん下がってきて手を挙げたらそこで決まり。つまり市場からしたら時間の節約にはなるが、こちらの意思通りに競り落とすのが難しい。結構スリリングで楽しかったが、日本のライバル商社に競り落とされると悔しかった。
商社マンとは言え、スーツよりは作業着を着て作業をしている時間の方が長かった。まあ東京水産大学出身で魚の研究をしていたから、本業のようで楽しかった。


2020年3月29日日曜日

21. アムステルダム駐在時代 その1

21. アムステルダム駐在時代 その1
 欧州の魚の買付け担当でヨーロッパに頻繁に行っていた私は、アムステルダム常駐を命じられた。正確にいうと辞令が出て駐在した訳ではなかった。と言うのも元々アムステルダム事務所は所長一人のワンマン事務所だったのだが、所長が個人的に会社のお金を流用していたのが発覚、解雇したところ、不当解雇でオランダで逆に会社が訴えられ、Defendantとしてオランダの裁判所で戦う事になったので、現地で常駐してその仕事を担当する人間が必要になった。
 私は以前からオランダに何度も出張しており、オランダには詳しいという事、またいずれにしても水産物の買付けの仕事でオランダには頻繁に行くので、ちょうど良いので私にそのままオランダに居ろという会社からの指示だった。
 アムステルダムには欧州全体の水産物を扱う大手Dealerがおり、当社の仕入れ先としてもTOP10に入る会社があったが、そこの社長は頑固だが私の言う事はよく聞いてくれたので、私はその会社の担当だった。その社長R.O.氏は金髪をオールバックにした当時のイメージではハンサムで金持ちの実業家の「デビッドボーイ」という感じで、何しろ格好良かった。彼の黒いスーツに派手な色のシャツとネクタイのファッションに憧れて真似していた(私の今のファッションスタイルの原点はそこにある)
 ところで何故彼が交渉力も英語力もない若い私の言う事をよく聞いてくれたかは常駐して分かった。彼は細身でハンサム(当時はね)なアジア人の青年がお好みだったのである。時々、19-20時ぐらいの微妙な時間に電話かけてきて「今から食事に行こう」と彼から誘われる。こちらは重要取引先の社長からの誘いを断る理由もなく、最初はどんな仕事の話をされるのか心配していた。しかし食事の後は彼の真っ赤なアルファロメオでただドライブするだけで仕事の話は無かった。何度か同じ様な事があり、時々彼の手がギアシフトレバーから離れ私の手を握るようになって、なんとなく彼の趣味が判ってきた。
 彼は独身でモデル級の美女の彼女がおり、「金持ちハンサムでアルファロメオのスポーツカー」ときたらモテない訳はない、と彼にある種の憧れを抱いていたが、実は彼には彼氏もいた。私はそちらの方の嗜好は全く無いので、R.O.氏もそれは感じたらしく、また取引先という事もあり、謎のドライブ以上に発展する事は無かった。
 裁判の方は弁護士も雇い、実際裁判も開かれたのだがなんと会社側が敗訴していまい、私にとっては驚きの結果だった。その理由は二つあり、
1)そもそも欧州では労働者側(=弱者側)に配慮した判決が出やすい。そもそも社会的にも欧州は雇用義務、解雇の条件が厳しい法律になっている
2)当社の監査が定期的にしっかり行っておらず、監査自身の不備が指摘された。その監査結果を理由にした解雇は認められないというロジック
 ところが更に驚きの展開で、「そもそも駐在事務所の所長と会社の雇用契約は日本国内で結ばれたものであり、オランダの裁判結果に従う必要はない」とう日本での弁護士のアドバイスで結局オランダの法廷闘争は何の意味もなかった。
 それでも元所長はこの裁判結果を盾に取り会社と交渉して、多少有利な条件で退職したらしいという話を後で聞いた。
 一方私はオランダでの法廷闘争を担当する事で今までは関係なかった法務部とも繋がりができ、この関係の担当役員から「(営業以外の未経験な仕事をさせて)大変だったねえ」とねぎらいの言葉を頂いた時、「いい経験で勉強になりました。裁判面白かったです」と答えた事がきっかけで、このオランダ駐在の後、別の訴訟を抱える米国に移駐となった。
 アムステルダムオフィスのあったビル。ライツ広場に面していて大きな公園が近くにあった。REGUSのシェアオフィスに入っていた。
 REGUSのシェアオフィス。アムステルダムに部屋の賃借契約があると全世界どこの都市でもREGUSグループのオフィスが借りられる。ロンドンの事務所をよく借りていた。共有の秘書も頼めばいろいろやってくれてロンドン出張ではオフィスや会議室を借り、ホテルも事前に予約してもらった。
 前のアムステルダム事務所はアポロラーン通りにある一軒家で、オフィス兼所長宅でもあった。裁判で争ったので、そちらの事務所は前所長に占拠されていたので、やむを得ず私はシェアオフィスを借りる事になった。自宅とオフィスを一緒にするなどそういう仕組みが公私混同や不正が起きる温床となったと思う。
運河めぐりで食事をするオランダ版屋形船。結構お客も多かったので、一人でいる時も観光ルートのリサーチをして、いざ接待する時に要領は既に得ているようにしていた。

2019年4月27日土曜日

20. ロシア極東でイクラ作り


20. ロシア極東でイクラ作り
ロシア極東に関しては、普通のロシア人(ロシアの水産業者以外で)の誰よりいろいろな場所に行っています。サハリン州は駐在していたので、島の各地漁村はほとんど行っていたし、北からカムチャッカ、収容所で有名なマガダン、大黒屋光太夫が流れ着いたオホーツク、ウラジオストック、ナホトカ、ソフガバニー等極東沿岸の都市は殆ど出張に行きました。ソ連崩壊後、外国人が自由にロシア極東に入れるようになって、水産物の買付け先を求めて「ローラー作戦」的に極東沿岸をなぞる様に各地を訪問したのでした。と言うのも水産物の商談は、というかあらゆる貿易商談は中央官庁である貿易公団がコントロールしており、すべてモスクワにて行われていました。現地での検品や生産指導が許されないまま中央で一発商談するのはもどかしくはありましたが、それこそが社会主義国だったので仕方ありませんでした。それが社会主義体制の崩壊で自由に生産現場を見て回れるという事と、売買の権限が実質生産者が握るようになって、商売をする為には地方まで行って現場で生産者と関係づくりをしなくてはいけない状況になった事が理由でした。
 そしてイクラを求めてに極東の僻地、ニコライフスク・ナ・アムールに出張に行きました。この辺りは湿地が多く、道路が整備されていなかったのか、近くの空港が遠かったのかから、ヘリコプターをチャーターし、着陸地点からは水陸両用車に乗って現場まで行った記憶があります。名前の通りアムール川の河口近くにあり、シーズンになると大量のサケが遡上してくるので、これを漁獲してイクラを取り出します。ちなみにいくらはロシア語で「魚卵」の事で「赤いイクラ」=日本でいうイクラ、「黒いイクラ」=キャビア、ニシンのイクラ=数の子、助宗だらのイクラ=たらこといった感じになります。
 サケから魚卵を取り出し、それを網の上で揉んで粒を皮から取り出し、その粒を塩水につけて熟成させてから脱水し、イクラが完成します。こんな感じ。




遡上のシーズンになればサケは大量に遡上する。獲ったサケはオープンデッキの輸送船で加工場に持ち帰る。漁船の方は漁場から離れず、短いシーズンをフル稼働する。

 実際遡上してくるサケ自体はあまりおいしくない。なぜなら魚の脂はすべてイクラに回り、肉はパサパサしている。北海道では「ほっちゃれ」と言って「捨ててもいい」価値のない物とされている。だから北海道では「ほっちゃれ」は野菜と一緒にバターで炒めて「ちゃんちゃん焼き」にする。「脂の乗っている本当に美味しい鮭」は時しらず、時鮭と言って「遡上時期の前に」「外洋で獲れた」サケを珍重する。


すじこと内臓を出したサケは塩漬けにする。そして塩漬けにしたサケは雪で冷やした冷暗室で保管する。電気で稼働する冷蔵庫は無かった。シーズンは6月だが、彼らは大量の雪を地下に埋めて保管して、夏使う。

とんでもない僻地に来たと思っていたのに、工場ではこんな美人のワーカーがイクラを揉んでいた。都会に出れば確実にモデルとして働けそう…


2019年4月26日金曜日

19. エストニアでの仕事

エストニアの首都タリンはヨーロッパ中世都市の面影をそのまま残した世界遺産にも登録されている美しい街です。今まで60か国近くの国を訪問していますが、「どこが良かった?」と聞かれる事がよくあります。そんな時は「ぜひエストニアのタリンに行ってみてください」と答えます。食事もとても美味しいです。

城壁の中の街並みはこんな感じ。石畳の道路に趣がある。
海洋水産博物館にて缶詰産業の歴史の展示
手編みのマフラーとかがお土産に最適
街は城壁に囲まれている
城内に入る門
仲良くなったVogueのモデルはこのホテルVIRUのバーで出会った。




タリンで最も高い塔、「聖オレフの塔」
旧市街のトームペアの丘に建つ、玉ねぎドームが可愛らしい正教会は「アレクサンドル・ネフスキー大聖堂」

14世紀に建てられた2つの石の塔からなるヴィル門

2019年4月20日土曜日

18. エストニアでの仕事

18. エストニアでの仕事
 オランダに長期出張、短期駐在していた時はよくバルト三国の一つ、エストニアに行っていました。バルト海のニシンを缶詰にする工場がPARNUにあって、この工場から数の子を買っていました。バルト海のニシンは太平洋のニシンと比べると小ぶりで、当然数の子も小さいのですが、ちょうど寿司の一貫サイズの大きさなので寿司だね向けにちょうど良い。缶詰には卵も含めて内臓は邪魔なので、すべて機械で除去して廃棄していました。数の子を捨てているのは勿体ないと買付けに行ったのですが、ソ連式のオートメーションラインで大量に処理しているのから外れて、「卵だけ傷つけないようにそっと取り出す」作業はかなり彼らにとっては面倒で手間・人手がかかる作業なので、説得するのも時間がかかり、またそれなりのコストもかかるので決して「ただで捨ててたものだから安い」という事ではありませんでした。PARNUはヨーロッパの古き雰囲気の残る港町で、この工場で働く女工さん達もみな美形でした。日本人がこの町を訪れる事は珍しく、工場で品質チェックの作業をしている時もよく皆に声かけられました。
 缶詰は黒い帯の平べったい丸い缶で、ロシアのほとんどのスーパーでこの製品を見かけます。ニシンはしっかり燻製にした後、油漬けにしてオリーブの葉や香辛料を入れ、缶詰にするもので、当時の思い出と共に大好物の一つでもあります。ウオッカのつまみにちょうど良い。
 工場はPARNUでしたが、本社オフィスは首都タリンにあり、タリンに宿泊する事もよくありました。タリンはヨーロッパの中で私が一番好きな街です。街が城壁に囲まれて、昔の趣がそのまま残っている一方、古い建物もちゃんと市庁舎等、現在もそのまましっかり使われ機能しているところが素晴らしい。城壁の中は路上でもWIFIがつながるというIT先進国でもあり、古い街ながらIT先進都市でもあります。
 タリンのホテルのバーで隣に座っていて、仲良くなった女性は「モデルとして働いている」と言うから、「どんなモデル?」と聞いたら「Vogueのモデルとか~」との答え。ちゃんと彼女が表紙になっているVogueも見せてもらいました。
 そんなこんなでエストニアにはいい思い出がいっぱいあります。
なんか旧ソ連のような昔懐かしい感じ。平均的に美形です。

ニシンのサンプルをチェックしている若き日の私。何をチェックするかというと抱卵率とか雄雌比率とか鮮度とか…

缶詰製品いろいろ。ウオッカのつまみに最高。対日向けの缶詰輸出も検討しました。おいしいけど売れなかった。

数の子は飽和食塩水につけて保管。なかなか加工処理は難しいのです。半プロですが現地指導は私がやりました。

缶詰にする前に一旦燻製にします。それがまた美味しいんですよ~

ここはいずれにせよ人が作業する部分。結構手間がかかります。

缶詰の蓋をする前の状態。



遥か遠くからやってきた日本の青年は結構モテました(笑)

2019年3月21日木曜日

17.若き副社長の時代 その5

17.若き副社長の時代 その5
昆布は北海道の漁業者を守るため、輸入枠が決められ輸入が制限されている。それでも将来の輸入自由化の可能性を見据えて、サハリン州にはどんな昆布があるのか合弁会社でも調査を行った。
 しかし調査を行おうにも日本のように海岸に沿って道は無く、海岸に行くにも道のないところを進まなければ海岸にたどり着かない。それも1ヶ所調査するのではなく、数箇所のポイントで調査するとなると大変だ。
 そんな事で悩んでいたら、そこはサハリン州とのパイプが強いパートナー会社が州政府ルートで頼み、沿岸警備隊のヘリコプターを出してもらえる事になった。パイロットの訓練と整備の為に規則的にある飛行時間は確保しなければならないし、沿岸警備目的でも日常的に飛行しているので、その飛行の一環としてヘリに同乗するのは構わないという事だった。
 そんな訳でサハリン州の数箇所の海岸にヘリで飛んでいって昆布のサンプルを採集した。勿論サハリンの海は北海道とそれほど変わらない生態系なので、北海道と同じ様ないい昆布がそこにはあった。
 ただウニも沢山繁殖はしているものの、誰も漁獲しないので、過剰繁殖して逆に餌が足りなくなっている状態の為、ウニの可食部分の美味しい卵の部分は少なく、味も美味しくない。日本のようにある程度漁獲し「間引く」事で、ある一定の数量に繁殖を抑え、しっかり身の詰まったウニが育つ。サハリンのウニは北海道のウニに比べ品質は悪かった。それでもどんどん漁獲して、ある程度間引いていけば、だんだん身が詰まってくるであろうと予想された。そうやって海岸の生物の調査をしていると、水産学部でそんな事をやっていた大学時代に戻ったような気持ちだった。
 湾岸警備隊のヘリコプターで海岸調査
 空から見たユジノサハリンスク


 海に入って昆布採取
 まあまあの品質の昆布
ナマコはいっぱいいるので商品化を検討